イスラエルの王ソロモンは、神さまから知恵を与えられ祝福された王でした。うらやましいエピソードがあります。ある時、主なる神はソロモンの夢枕に現れ
「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」
と言われたのです。神さまが私にこのようなことを言われたら何を願うのかと思わされます。もし神さまがこのようなことを私に言われたら、「この日本でのキリスト教の伝道が盛んになる」ことを願うと思います。それはそれとしてソロモン王は神に知恵を求めました。そのことは神の喜ぶところとなり、神は彼に富と栄光をお与えになりました。そのソロモン王ですが、富と名誉に包まれた結果、
「ソロモン王は、多くの外国の女を愛した」(列王記上11:1)。
「ソロモンが老境に入ったとき、彼女たちは王の心を迷わせ、他の神々に向かわせた。・・・ソロモンの心は迷い、イスラエルの神、主から離れたので、主は彼に対してお怒りになった」(同11:4以下)。
しかし、
「ソロモンの心は迷い、イスラエルの神、主から離れたので、主は彼に対してお怒りになった。主は二度も彼に現れ、他の神々に従ってはならないと戒められたが、ソロモンは主の戒めを守らなかった」(同11:9~10)。
そこで主は仰せになりました。
「あなたがこのようにふるまい、わたしがあなたに授けた契約と掟を守らなかったゆえに、わたしはあなたから王国を裂いて取り上げ、あなたの家臣に渡す。あなたが生きている間は父ダビデのゆえにそうしないでおくが、あなたの息子の時代にはその手から王国を裂いて取り上げる」(11:11)。
昔イスラエルの民がエジプトを脱出し、神が与えられる地に入ったとき、神は、外国人の女を息子のためにめとってはならないと警告しました。女が自分の神を持ち込み、偶像礼拝へ誘われかねないからです。まさにソロモンは、外国の女を愛し、偶像礼拝に向かいました。そして彼の心は主から離れたのです。これが彼の第一の罪。神が戒められても悔い改めず、行いをあらためなかったことが第二の罪。
私たちの心が主から離れる、これは注意しなければなりません。これまでいくつもの教会に説教奉仕に出かけましたが、礼拝で祈りをする長老(役員)のかたが「礼拝を終えて日常の生活に戻るや、あなたのことを忘れ、生活にかまけて一週間を過ごしました」と祈るのを聞きました。その方は礼拝の司式をするつどこの祈りを繰り返すのです。そこには悔い改めもありません。このような祈りをするのはこの方だけではありません。ソロモンの罪は、私たちと無関係ではありません。