クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

列王記下 14章

(内容)
 ユダの王アマツヤイスラエルの王ヤロブアム二世について語られています。アマツヤは主の目に正しいことを行いましたが、最後に殺されてしまいます。ヤロブアムは、主の目に悪とされることを行いましたが、在位41年の長い期間、王として国を治めました。対照的な二人です。


(黙想)

  • マツヤは、ダビデほどではありませんでしたが、主の目に正しいことを行ったと評価されています。先ず父を殺した家臣を殺し、王の地位を確かなものとしました。さらにエドム人を撃ったとあります。かつてダビデエドム人と戦い、エドムの地を支配しました。しかし、列王記下8章によれば、エドムはユダに反旗を翻し、ユダの支配から脱したとあります。アマツヤエドムを支配しようとし、エドムと戦い、勝利しています。
  • そのアマツヤイスラエルを戦おうとします。なぜイスラエルと戦おうとしたのか分かりません。イスラエルの王ヨアシュは、「あなたはエドムに勝利して思い上がっている」と語ります。戦いをするな、とたしなめましたが、アマツヤイスラエルと戦います。そして敗北します。そしてアマツヤは主の神殿と王宮から金と銀などを奪われてしまいます。
  • マツヤはヨアシュから「思い上がっている」との批判を受けました。人は自分に対する批判になかなか耳を傾けることができません。逆に、批判する人を敵視します。アマツヤは、批判されて怒り、戦いに前のめりになったと思います。人は物事がうまく行くと自分の力を誇り、思い上がることがよくあります。これは一種の誘惑です。この誘惑に負ける人は少なくないのです。
  • マツヤは主の目に正しいことを行いましたが、ダビデほどではなかったと説明されています。歴代誌下25章には、「彼は主の目にかなう正しいことを行ったが、心からそうしたのではなかった」と説明されています。人は外見を飾ることができます。上辺だけ信仰深い行いをすることはできます。自分を立派に見せることはできますが、信仰から行いが生まれたのでなければ、それは意味のないものとなります。
  • ダビデほどではなかった」とあります。信仰は、成長を目指すべきものであると教えられます。
  • マツヤは最後の家臣の謀反により殺されました。高慢な者のあわれな末路です。
  • ヤロブアム二世が王になったとき、イスラエルはアラムに苦しめられていました。彼の父ヨアシュは、アラムとの戦いに3度勝利しましたが、アラムの侵略による苦しみは続いていました。ヤロブアム二世はネバトの子ヤロブアムの道を離れなかったとあります。金の子牛を拝む偶像礼拝を続けていました。しかし神は、アラムに苦しめられているイスラエルの様子を見て、憐れみを示されたのです。神は憐れみにより、イスラエルは領土の回復を遂げ、ヤロブアムは、41年の長きにわたり王位にありました。
  • 神は偶像礼拝を続けるイスラエルに対して怒りを発し、アラム人による苦しみを与えられました。それは悔い改めを促すものでした。でもイスラエルの王は悔い改めることはありませんでしたが、イスラエルの苦しみが大きいのを見ると神はイスラエルを憐れまれるのです。神さまは、罪をただ裁くだけの神ではないことを知ります。罪を犯す者が苦しむのを見て憐れむ神でもあるのです。


(聖書が語ること)

☆神はいかなる方か

  • 神は傲慢を嫌われる方です。
  • 神は罪を犯す者を憐れまれるお方でもあります。
  • 神は悔い改めを求められるお方です。

☆神が望まれる私たちの生き方

  • (勧め)信仰の成長を神さまは期待している。アマツヤの信仰はダビデほどではなかったとあります。私たちの信仰が、誰々の信仰ほどではなかったと言われるとするなら、それは残念なことです。信仰の成長は常に目指したいです。
  • (警告)人は物事がうまく行っていると、自分の力を信じ、思い上がることがあります。そのような思い上がりが自分の中になければ幸いです。思い上がる人は足をすくわれることがあるのです。
  • (勧め)悔い改めることがあれば、間に合ううちに悔い改めるべきです。神さまは恵みを与えることを通して、悔い改めを迫っているのかもしれません。


(神の導きを求めて)

祈り

  • 天の父なる神さま、今日も聖書から色々なことを教えられました。私は特に信仰の成長を目指すべきことを教えられました。聖書は終末の到来を教えています。終末の事柄は現実離れしているようなところがあります。若い人にとって自分の死は現実的ではなく、自分は永遠に生きるかのように生きていることが多いように思います。しかし年老いれば、自分の死、自分の人生の終末が到来します。老いた人こそ、真剣に神さまがもたらす終末を理解し、受け入れ、信仰の糧にすることができると思います。
  • 終末は、人間には理解しがたいことかもしれませんが、信仰をもって受け入れるべきことであると思います。終末について、考える促しを与えられて感謝します。先日、『カルヴァンの終末論』という本を買いました。本棚に並べてありますが、今学んでいる本を読み終えたら、これを読むことにします。

☆与えられた導き

  • 今学んでいる本を読み終えたら、『カルヴァンの終末論』を読むことにする。