(内容)
アラム王が北イスラエルの都サマリヤを取り囲みました。サマリアは大飢饉に見舞われていた上、アラム軍に囲まれ、物価は高騰し、困難な状況に陥りました。イスラエルの王は、このような状態が生じたのは、神によって引き起こされたものを判断し、預言者エリシャをこらえ殺そうとして、エリシャのもとに出かけます。するとエリシャは王に主の言葉を伝えます。明日サマリヤは、物価高騰が終わり、普通に取引される状態になると告げます。
神の不思議な働きによってアラム軍は敗走します。重い皮膚病を患っている人たちがアラム軍に投降しようと出かけます。サマリヤの町にいても飢え死にするだけです。アラム軍の陣営に行ってみると誰もいないので、彼らは、金銀を奪い隠しますが、アラム軍が敗走したことを伝えなければならないと言って、サマリアに戻り、「アラム軍がいない」と伝えます。王は疑いますが、偵察隊を派遣します。そしてアラム軍が敗走したことを確認します。サマリアの町の民は、アラム軍の陣営に出かけていき、略奪をほしいままにし、物価の高騰はエリシャの語ったとおりに終わりました。神の不思議な働きによって、サマリアの町は救われました。
(黙想)
- イスラエルの王は、都サマリヤの困窮は主なる神によってもたらされたと考え、預言者エリシャを殺そうとします。神を信じていても、物事がうまく行かなくなると、人は神に不平を言い、不信仰に陥ることがあります。奴隷の地エジプトを脱出したイスラエルの民も、荒野の旅で困難が起きると、指導者モーセに不平を言いました。それは神に対する不平であり、文句です。
- イスラエルの民は唯一の神を信じることを神から求められています。唯一の神を信じるとは、徹底して神に信頼することを意味します。信仰は試されます。困難が起きたとき、それでもなお神に信頼し、神に助けを求めて行くのか、それとも神に不平を言い、神に信頼するのをやめるか、信仰者は試されます。
- 困難や逆境は、私たちの信仰が純化するためのものです。神さまに対していっそう深い信頼を置くのです。教会での聖書の学びの時、試練の時は、神さまのご計画があり、その試練には意味があります、と教えました。神の視点に立って、考えることの大切さを伝えました。神の視点に立って考える教会員が起こされたことをうれしく思っています。
- イスラエルの王は、神が自分たちを困難に陥れ他を考えました。不信仰です。神の視点から考えず、自分中心の考え方しかしていません。
- それでも、神さまはアラム軍を追い払い、サマリヤの町を救われました。イスラエル王国の味方であることを神さまは示されたのです。イスラエルの王は名前が書かれていませんが、神さまに立ち帰る機会が繰り返し与えられていることを思います。
- エリシャが語った救いを信じなかった王の家来は、不信仰の裁きを身に受け、サマリアの町は救われましたが、死んでしまいました。
(聖書が語ること)
☆神さまはいかなる方か
- 神さまは、人間の思いを超える働きをなさり、私たちを助けてくださる方です。
- 神さまは、試練を通して、私たちを導く方です。
- 神さまの言葉は、必ず実現します。
☆神さまが求める私たちの生き方
- (警告)神さまの言葉を信じること。イスラエルの王の侍従長は神が救ってくださることをエリシャが伝えたのに、信じようとしませんでした。そしてエリシャが警告したように、彼は死んでしまいました。
- (模範)重い皮膚病の人たちは、敗走したアラム軍の陣営から、金銀、衣服を運び出し隠しました。彼らは利益を得ました。しかし自分の利益にとらわれてはいけないと考え、「この日は良い知らせの日だ」と言って、アラム軍が敗走したことを町に帰って伝えました。「福音」は良い知らせ、という意味です。彼らはアラム軍の敗走を良い知らせとして伝えました。良い知らせ、福音を伝える彼らは、私たちの模範です。
- (教え)彼らが良い知らせを伝えたとき、イスラエルの王は信じませんでした。疑いました。良い知らせは伝えればよく、信じる信じないは、聞いた人の問題です。伝道するとは、相手を信者にすることではなく、良い知らせを伝えることです。祈って伝えればいいのです。証しをするだけで良いのです。信仰によって歩む幸い、喜びを私たちも身の回りの人に「良い知らせ」伝えることを神さまは願っています。
(実践に向けて)
- 今日は祈祷会で妻が証しをすることになっているので、妻のために、その証しが神さまによって用いられることを祈る。
- 日曜日の説教で、福音を伝えようとの勧めがなされた。今日の聖書からも「良い知らせを伝えよう」との勧めを受けた。私が始めようとしているサイトは、小さなサイトだが、人間の思いを超える働きをなさる神さまに用いてくださいと祈る。新しいサイトに新しいページを一ページ作成する。