クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

教会を考える(4)聖書を力とする教会

 教会を考えるというテーマでブログを書いています。伝道の実りを結ぶ教会とはどのような教会なのか、そのような教会を形成することが伝道者としての自分の使命であるという思いを私は抱くようになりました。

 最初に赴任した三重県の鳥羽教会は、礼拝出席者は20名前後、若い人が少ないので、危機感を私は抱きました。教会員が高齢化し、順に天に召され、教会員が少なくなったら教会はどうなるのか、そうなる前にどうしたら伝道の実を結ぶようになるのか、問題意識を持ちました。どうしたらいいのか、私には答えはありません。

 御殿場教会に赴任して数年して、知人の牧師から超教派の集会に参加しないか、との誘いがあり、私はためらうことなく、参加しました。それがどのような集会なのかを知らずに、参加しました。

 井の中の蛙、大海を知らずということわざがあります。私は自分の属する教派とは違う教会が、どのように伝道に取り組んでいるのか、知りたいとの思いがあったと思います。井の中の蛙になってはいけないとの思いがありました。誰からでも学ぶことができるなら学べばよいとの思いがあったと思います。

 その超教派の集会は、「小牧者コンベンション」という集会でした。韓国出身の宣教師Bが日本で伝道し、それなりの成果を上げ、自分のやり方を紹介したいとの思いで始めた集会ではないかと思っています。

 毎年1月に開催されましたが、年々参加する教会が増え、いかにしたら伝道できるのか、だれもが知りたい、学びたいのだと思いました。

 韓国のサラン教会の牧師が主題講演をし、同じ教会の他の牧師も講演をしたように覚えています。そして分科会が開かれ、色々なテーマでの教会での活動報告の紹介がなされ活気に満ちていた集会でした。

 後に韓国の宣教師Bが自分が伝道してできた教会において、性加害行動をしていたことが発覚し、この集会は開催されなくなりました。

 この超教派の集会に参加したことは、私の牧師人生、信仰者人生に大きな影響を与えました。それは聖書の読み方を学んだからです。

 聖書は日本語で書かれていますから、誰でも読むことができます。特別な読み方など知らなくても、自分で読めばいいという意見もあります。牧師として私は、聖書の読み方を指導する役割はあると考えていて、まず自分が聖書の読み方を身につけることが大切と考えていました。

 この世に生きて行く時、色々な問題、悩みに人は直面します。牧師もまた課題に直面してどうすればいいのか悩みます。問題や悩みがなくても、そもそも自分はいかにキリスト者として生きていくのか、聖書を読むことが大切となります。

 その集会で、聖書を読んで自律的に生きていく信仰者になるための聖書の読み方の概略を知り、さらに講習会に参加して学び、自分なりの読み方を身につけました。私は今も、この読み方で聖書を読んでいます。聖書を信仰の力とすることにより、伝道できる教会を形成したいと私は考えました。

春菊の花?