クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

ディボーションの恵み

 私は自分の聖書の読み方を「ディボーション」と呼んでいます。20年以上も前になりますが、友人の牧師に誘われ小牧者コンベンションという超教派の集会に参加しました。その時「ディボーション」と題する聖書の読み方を紹介されました。その時私は「これだ!」と思ったのです。「御言葉によって生きる」ということはよく聞くのですが、どうすればいいのか、私は迷いの中にありました。そして話を聞く内に「これだ」との確信を得ました。そしでディボーションの講習会に妻と一緒に通いました。御殿場から東京へ毎週1回、合計10回学びました。私にとっては財産となりました。

 それから20年以上経ちましたが、私はデボーションをして聖書を読み続けています。ディボーションをする時は、その内容をノートに書くことが勧められます。記録に残ります。読み返せば、その時のことが思い出されます。

 牧師を引退して、これから何をしたらいいのか、と考えましたが、ディボーションをする中で、自分のディボーションをインターネット上に公開することを思い立ちました。牧師は「御言葉によって生きる」ということを口にします。でもどうすればよいのか、なかなか語られません。そこで私は自分のディボーションを一つのサンプルとして紹介することにしました。一人でも多くの人が御言葉によって歩んで欲しいとの願いからです。もちろん「御言葉によって生きる」方法は色々あると思います。

 牧師を引退して3年少々過ぎました。毎日続けることは価値あることだと思います。列王記上、列王記下、ネヘミヤ記、ルカ福音書、ヨハネ福音書、フィリピの信徒への手紙、コロサイの信徒への手紙、テサロニケの信徒への手紙一、ヘブライ人への手紙をディボーションをすることができました。どんなディボーションをしたのか、公開しているサイトに行けば、いつでも見ることができます。

 聖書を読み、思いめぐらす中で神さまの導きを適用として受けとめ、これを実践してきました。私は御言葉によって生きてきたと断言することができます。そして今の自分がいます。今の信仰生活があります。引退後の歩みをディボーションが豊かにしてくれたことを神さまに感謝します。そして自分を少々、誇らしく思います。

 ディボーションの恵みの一つとして聖書を深く思いめぐらすことができるようになりました。説教することが喜びとなりました。牧師として、何にも代えがたい恵みでした。人生は出会いと言われます。私にとってディボーションは本当に大きな出会いの一つです。

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こんなサルスベリの木、見たことがありません。