クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

祈りについて思うこと

 今日、奈良高畑教会の祈祷会では、ルカ福音書1章にあるマリアの賛歌を共に読み、感想を話し合いました。で、私も感想を話しました。

 クリスマスの時期になると読むこのマリア賛歌。私にはひっかかる箇所があるのです。

ルカ 1:51~52
主はその腕で力を振るい、/思い上がる者を打ち散らし、
権力ある者をその座から引き降ろし、/身分の低い者を高く上げ、

 ここには、神は思い上がる者、権力ある者に対して厳しい態度を取ることが書かれています。神は傲慢な者を忌み嫌われる方と知ります。

 私は、傲慢な権力者を神がその座から引き降ろしてくださることを祈ります。武力をもって隣国を侵略し、攻撃を続ける某大統領が権力の座から引き降ろされることを祈ってきました。でも願いはかないませんし、戦争は続いています。

 ルカのマリアの言葉は何なのか、と考えてしまいます。神さまを賛美しているけど、建前の言葉のような言葉に思えてしまいます。

 こんなことを話しました。最近、祈りについて思うことがあります。祈るからには願いがかなえられることを私たちは願います。しかし、なかなかかなえられない祈りもあります。そこで思うのです。「祈りは聞かれることだけに意味があるのではないこと、何を祈るか、そこに自分がどのような信仰者であるかがわかる」と。ですから、祈りがかなえられるか否か、に気を取られないで、祈るべきことを祈る、という姿勢が大事なのではないか、と。

萬葉植物園