今までマタイ福音書をディボーションしてきましたが、事情があって、ルカ福音書をディボーションすることにしました。次の聖句が心に留まりました。
ルカ 9:51
イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた。
ルカ福音書はイエスの活動をガリラヤにおける活動、ガリラヤからエルサレムに向かう旅での活動、エルサレムでの活動と分けています。この9章51節から、エルサレムに向かう旅が始まります。この始まりにおいて、イエスはエルサレムに向かう決意を固めたとあります。9章22節でイエスは次のように述べています。
ルカ 9:22
次のように言われた。「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている」。
エルサレムに着いたら何が起きるかというと、イエスは多くの苦しみを受け、殺されるのです。自分が殺されることが分かっているのに、それでもなおエルサレムに行くのです。エルサレムに行く決意を固められたのです。エルサレムで殺されることを覚悟したのです。
どうしてイエスはエルサレムに行くという固い決意を持つことができたのかと考えます。思いめぐらしていると、もし自分が余命宣告を受けたのなら、残された日々をどのような思いで過ごすのか、その覚悟が自分にあるのかと思いました。私は老人ですから、世を去る日が遠くない将来に来ることは知っていますし、それなりの覚悟はあります。その時が来たら最終的な覚悟をすると思います。その覚悟を今してみたらどうか、と神から言われているような気がしました。
イエスは、どのようにしてその決意を固めることができたのかと考えます。
(1)子どもの頃から
イエスは子どもの頃から、神を自分の父なる神と認識していました。神を父とし、父と子の関係に生きていました。少年イエスが両親と一緒に過越祭の時にエルサレムに行きました。その時のイエスの言葉があります。
ルカ 2:49
すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」。
(2)イエスが洗礼を受けた時
イエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受け、祈っている時、聖霊が降り、天から声が聞こえました。
ルカ 3:22
聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。
イエスは洗礼を受け祈っていました。これからメシアとしての活動を始めるので、天の父に導きを祈っていたのではないかを推測します。すると天から神の声が聞こえました。これは「行きなさい」と励ます声と考えることができます。イエスにはメシアとしての使命があります。
(3)ナザレの会堂で
イエスはナザレの会堂で聖書を渡され聖書を朗読しました。そこにはこう書いてありました。
ルカ 4:18 「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、/主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、/捕らわれている人に解放を、/目の見えない人に視力の回復を告げ、/圧迫されている人を自由にし、
イエスは御自分が神から遣わされているとの自覚があります。イエスは使命を与えられ、神によって遣わされました。
イエスは父なる神との関係に生きており、父なる神からメシアとしての使命を果たすために遣わされたとの自覚があります。そしてメシアとして苦しみを受け殺されますが、御自分を神は復活させられることを知っています。イエスは自分が神の計画の中に生きていることを知っています。それで、エルサレムに行く決意を固めることができたのではないかと考えます。
- 神との関係という信仰に生きている
- 神から与えられた使命に生きている。
- 神の計画に自分は生きている。
