ヨハネ福音書1章19~28節を読みました。
<聖書から>
19~20節にこう書かれています。
さて、ヨハネの証しはこうである。エルサレムのユダヤ人たちが、祭司やレビ人たちをヨハネのもとへ遣わして、「あなたは、どなたですか」と質問させたとき、彼は公言して隠さず、「わたしはメシアではない」と言い表した。
他の福音書を読めば、沢山の人がヨハネのもとに来て洗礼を受けたことが分かります。ヨハネのことはエルサレムでも評判になっていました。そこでエルサレムのユダヤ人たちが人々をヨハネのもとに遣わしたのです。
ヨハネは自分は「エリヤ」でもないし、「あの預言者でもない」と答えます。そこで遣わされた人たちはヨハネに、
「それでは一体、だれなのです。あなたは自分を何だと言うのですか」
と言いました。するとヨハネは
「私は荒れ野で叫ぶ声である」
と答えました。人々はヨハネに「あなたは何者なのか」と尋ね。ヨハネは、自分は「荒れ野で叫ぶ声である」と答えました。ヨハネが何者か、ヨハネのアイデンティティーが問題にされたのでした。
そして私は別の聖書箇所を思い出しました。イエス様が弟子たちに「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と尋ねた場面です。ペトロは「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えました。イエス様はご自分が何者であるかを弟子たちに確認します。ペトロは見事にイエス様が誰なのか、イエス様のアイデンティティーを告白しました。
<アイデンティティー>
聖書はアイデンティティーの重要性を語っています。今日の聖書を通して神さまは私に、「あなたは何者なのか」と語りかけておられると受けとめました。私は何者なのか。私は何者として今、生きているのか。
私が出した答えは、私はキリスト者、私は福音宣教者、私はキリストを証しする者(キリストの証人)です。私はこのアイデンティティーを与えられていることをうれしく思うと同時に、これからもこのアイデンティティーに誠実に生きていきたいと確認しました。