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隠退牧師 holala によるブログ

天の父の子となるために

 今の時代、次の聖書の教えは愚かな教えに見えるかもしれません。

マタイ 5:44
しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。

 敵を打ち砕け、敵に勝利せよ、これが人間の世界の常識です。そして人間の世界にはいつもどこかで戦争が起きています。ロシアのウクライナ侵攻、そしてイスラエルとハマスの戦争が私たちの心を痛めます。どちらも今後どうなるのか、見通しが立ちません。
 上に引用したマタイ福音書はなぜ、敵を愛し自分を迫害する者のために祈りなさいと教えるのでしょうか。イエスは答えます。

5:45
あなたがたの天の父の子となるためである。

 天の父の子となるため、これが答えです。イエス・キリストを信じる人は神の子とされます。神の子として神の愛を受けて生きることができます。「わたしはあなたと共にいる」との励ましを聞くことができます。そしてもし、神の子とされていることを喜ぶなら、敵を愛し、迫害する者のために祈りなさいとイエスは教えます。なぜなら、天の父の子は、そのように生きるものだというのです。

 私自身は神の子とされたことを喜び、神の子らしく生きることを心がけていますが、先日デボーションで、このマタイ福音書を読んで、天の父の子になりたくないなとの思いが心の中にあることを確認しました。天の父なる神は、どのような方なのでしょうか。イエスは説明しています。

マタイ 5:45
あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。

 天の父は平等です。相手がどんな人か、どんな行動をしているのか、それによって御自分の態度を変える方ではありません。悪人にも善人にも太陽を昇らせます。正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる方です。

マタイ 5:46
自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。

 自分によくしてくれる人を私たちは大切にし、自分に反感を持つ人にはこちらも反感を持ったりします。しかし天の父の子は違うというのです。自分に対する相手の態度に関係なく、相手を一人の人間として尊重する思いで接しなさいとイエスは教えています。自分を愛するように自分の隣人を愛しなさいとイエスは教えました。それは言い換えると、誰に対しても隣人として接しなさいとの教えになります。敵でさえも隣人として接するとの教え。なんと深い教えなのか、驚きます。

 現代では、人のことより自分が大事、これが人々の本音であり、国家の本音でもあります。自己中心という罪に人間は支配されています。自己中心が生み出す争いの中に、私たちは生きています。自分が争いを引き起こすこともあるし、争いに巻き込まれることもあります。

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