ヨハネ福音書は、「罪」についてどんなことを語っているのか、ふと思い立ちヨハネ福音書を味わっています。昨日の続きです。
ヨハネ 8:24
『わたしはある』ということを信じないならば、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。
このイエスの言葉は、イエスを信じない者は罪のうちに死ぬことを意味します。普通に考えると、人は罪を犯すから罪のうちに死ぬとなります。でもイエスは、イエスを信じない者は罪のうちに死ぬと語ります。この罪のうちに死ぬとは、滅びるということです。イエスを信じる者は永遠の命を得ますが、イエスを信じない者は滅びます。
ヨハネ 3:16
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
ヨハネ 8:23
イエスは彼らに言われた。「あなたたちは下のものに属しているが、わたしは上のものに属している。あなたたちはこの世に属しているが、わたしはこの世に属していない。
8:24 だから、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになると、わたしは言ったのである。『わたしはある』ということを信じないならば、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる」。
イエスを信じない者は、「下のものに属している」「この世に属している」と言われ、「だから、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる」と言われます。
私たちは人は罪を犯し、罪を犯す歩みの結果として、神の裁きを受けて滅びると教えられます。でもこのヨハネ福音書のこの箇所は、人が罪を犯すのは、下のものに属している、この世に属しているという、人の有り様に原因があると教えています。
アダムとエバは、神が取って食べてはいけないと言われた木の実を取って食べました。彼らは神の警告を無視して禁じられた木の実を取って食べました。木の実を取って食べることは神の言葉に背く罪ですが、罪を犯す以前に、神をないがしろにする心が彼らの中にありました。だから彼らは木の実を食べたのです。
人が罪を犯すのは、神をないがしろにするから、言い換えると神を畏れていないからです。神の子であるイエスを信じないからです。
この国では、国会議員が平気で嘘をつくのを私たちは何度も見てきました。嘘はばれなければついてもよい、自分を守るためには嘘をついてもかまわない、そう考えているようです。そこには正直であること、誠実であることは全く無視されています。神を畏れる心がないので、平気で嘘をつきます。神を畏れない心から罪が生まれます。
イエスを信じない心、神を信じない心、神を畏れない心は、罪の温床なのです。私たちは罪を犯したとき、自分が本当に神を信じ、神を畏れているのか、向き合うことが大切だと思います。