鳥羽教会を8年牧会した後、静岡県の御殿場教会に転任しました。13年牧会しました。私の牧師人生、いや信仰者としての人生を一変させた出来事がありました。それは生きて働かれる神を知るという出来事でした。日曜日に教会に起きたある事柄を覚えて、月曜日、一日中祈りました。その日は牧師会があったので、車で熱海まで出かけ、また熱海から帰ったわけですが、運転しながら祈っていました。
翌日、その祈りが聞かれたことがわかり、目が覚める思いをしました。祈りがあざやかに聞かれるという経験は初めてでした。神は生きて働かれるお方なのだ!
信仰者なのに、牧師なのに、何それっ、て言われるかも知れませんが、私にとっては本当に驚きでした。
神学校に通っていたとき、ある牧師が授業の中で「神は本当にいるのかと言われたら、わからないと答えます。でも私は神がいると信じて生きています」と言われたことが心に残っていました。この言葉を聞いたとき、そうだよ、信仰とはそういうものだと納得したのです。神がいる方に賭けて生きる、実存主義的な生き方に私は共感したのです。神さまはおられるって確信をもって言われると何か嘘っぽく感じてしまう自分がいたのです。
その日から、神は生きて働かれるお方であるとの確信に立つことができるようになりました。そして聖書が、神の言葉であると心から信じることができるようになり、確信をもって説教をすることができるようになりました。聖書は神の言葉である、このことが腑に落ちたのです。
神さまは、私を福音を伝える者となるように導いてくださいました。忘れることのできない恵みです。