クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

クリスチャンは新生した人(4/4)

ローマ 6:5~7
もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう。わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。死んだ者は、罪から解放されています。

 ロマ書の6章1~11節をゆっくりディボーションしています。そしてこの箇所は何と凄い箇所なんだと驚いています。以前から何度も読んではいますが、理解があいまいな部分がありました。今回は、ロイドジョンズ牧師の本を参考にして読んでいます。

 何が凄いのかというと、キリスト者は洗礼を受けて、キリストに結びつけられていることを具体的に語っているからです。洗礼を受けた者は、キリストに結びつけられ、キリストの死と復活にあずかる、そのことは知っていました。

 洗礼を受けて間もない頃、私はキリストの復活を信じました。理工系の人間でしたが、死者の復活なんて信じられないというような思いはなく、信じることができました。というのは、キリストの復活は私自身が新しい人に生まれ変わることにつながると信じたからです。自分に変化がないなら、キリストの復活は意味がないとさえ思いました。

 この箇所はどのようにして信仰者が新しい人になるのか、明確に述べています。書かれている言葉の意味は分かりますが、信仰者に起きる出来事としてそれがどういうことを言っているのか、理解することは簡単ではありません。霊的な出来事だからです。

 たとえばキリストと共に古い人が死ぬとあります。古い人とは何か。それは罪の体が滅ぼされるためとあります。罪の体とは何か。それが滅びるとはどういうことか。キリスト者は罪から解放されるとあります。本当に解放されるのか。読んですぐに分かるわけではありません。

 キリスト者はキリストの復活にあずかり、新しい命を得ます。古い人が死に、キリスト者は罪から解放されます。ここにおいて、キリスト者が新しい人になるというのです。霊的な真理を語っていると思います。

 あらためてキリスト者はキリストに結びつけられている、これは教理としてとても大事であることを思います。もっともっと説教され、教えられ、すべてのキリスト者が生まれ変わった信仰者として歩むことを願います。

立山 ハクサンイチゲ 2012.8