キリスト者は新しく生まれ変わった存在です。生まれ変わりをもたらすものは、キリスト者に与えられた聖霊です。聖霊がいのちの霊としてキリスト者に与えられ、キリスト者は生まれ変わりました。聖霊が賜物としてイエス・キリストを信じる人に与えられました。神さまの約束の実現です。
使徒言行録 2:38~39
そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。なぜなら、この約束は、あなたがたと、その子どもたち、ならびにすべての遠くにいる人々、すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々に与えられているからです」。
聖霊が与えられる、これは神の恵みです。救いの恵みとして与えられ、キリスト者は生まれ変わります。キリスト者の内に住まわれるこの聖霊、聖霊なる神はどのような働きをなさるのでしょうか。私たちが覚えたいのは次の聖書の言葉です。
ローマ 5:1~5
ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
キリスト者は信仰によって義とされ、神との平和を持ちます。そればかりでなく、艱難さえ喜ぶというのです。艱難は忍耐を、忍耐は練られた品性を、練られた品性は希望を生み出すと知っているからとあります。そして希望は失望に終わらないことを信じます。
キリスト者がこのように信じることができるのは、聖霊によって神の愛がキリスト者の心に注がれているから、とあります。キリスト者は聖霊によって神を愛する心が与えられます。それは神に信頼する心を生み出します。艱難に遭うとき、いやだと思うかもしれません。なぜ、こんな目に神は遭わせるのかと思うかもしれません。しかし神を愛する心が与えられるとき、艱難にも意味があり、神に信頼し、神の導きを信じて、歩むことができます。
神を愛する心が与える、これは聖霊の大きな働きの一つだと私は信じています。
キリスト者が神の約束として、救いの恵みとして信じること、あるいは救いの恵みとして与えられていると考えて生きることは、
- 神の前に義なる者とされていること
- 聖霊が自分の内に住んでくださること
- 聖霊によって神を愛する心が与えられていること。