私たちがクリスチャンとして新生したと信じて歩もうとするとき、戦い、葛藤があります。新しい人としての歩みは、以前の自分の歩みと違うからです。新生した人の歩みはキリスト者の歩みです。以前の私の歩みは罪人としての歩みです。
そこには肉の戦いがあります。欲との闘い、恐れとの戦い、プライドとの戦いなどがあります。以前の歩みをするほうがずっと楽です。キリスト者としての歩みは楽ではありません。
恐れに打ち勝って歩むよりも、恐れを避ける歩みのほうが安心です。赦せないという思いに打ち勝って赦そうとするよりも、赦したくないとの思いに従って赦さない方が心に無理がなくて楽です。
そこで問題となるのは、新しい人として生きていくという覚悟です。人格の中心にいるあなた自身がどう生きていきたいかです。キリスト者は自由な人です。新しい人として生きていきたいのか否かです。
だから焦らなくていいし、急がなくていいので、新生した人として生きていきたいという信仰の志を育てることが大切です。聖書にこんな言葉があります。
エフェソ 4:22~24
だから、以前のような生き方をして情欲に迷わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。
キリスト者は古い人を脱ぎ捨て、新しい人を着るとあります。新しい人を着たいという思いを育てることが大切です。また新生した人として歩み始めて失敗してもくじけないで、うまく行くまでチャレンジすることです。神の助け、聖霊の助けは、私たちが本気で新しい人として一歩を踏み出したときに与えられます。神は、私たちの本心を見ておられます。「~しなければならない」生き方を捨て、「~したい」生き方を育てたいです。
コロサイ 3:5~9
だから、地上的なもの、すなわち、みだらな行い、不潔な行い、情欲、悪い欲望、および貪欲を捨て去りなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない。これらのことのゆえに、神の怒りは不従順な者たちに下ります。あなたがたも、以前このようなことの中にいたときには、それに従って歩んでいました。
今は、そのすべてを、すなわち、怒り、憤り、悪意、そしり、口から出る恥ずべき言葉を捨てなさい。互いにうそをついてはなりません。古い人をその行いと共に脱ぎ捨て、
コロサイ 3:10
造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、コロサイ 3:12~14
あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。
互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。
これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、
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