クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

律法から解放されたら

(クリスチャンの成長(69)キリストに結ばれて- 27)

ローマ 7:6
しかし今は、わたしたちは、自分を縛っていた律法に対して死んだ者となり、律法から解放されています。その結果、文字に従う古い生き方ではなく、“霊”に従う新しい生き方で仕えるようになっているのです。

 キリスト者はキリストと共に死にキリストと共に新しい命に生きます(ローマ6:4)。キリスト者はキリストと共に律法に対して死にました。律法は信仰者に「私を守れ」と言っても意味がありません。死者にはその声は聞こえません。信仰者は律法に対して死んでいるからです。「私を守れ」という声が聞こえませんから、律法から解放されています。

 キリスト者は律法を守らなくても、イエス・キリストを信じる信仰のゆえに救われているので、救われるために律法を守る必要はありません。律法を守らなければならないと考える必要はありません。では、キリスト者は律法を守らなくていいのかと言われたら、キリスト者が神の戒めを守らなくていい、という話にはなりません。神を信じる人が神の教えを守らなくていいというのは健全な教えではありません。キリスト者こそ神の戒めを守ります。

マタイ 5:17
わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。

 これはイエス様の言葉です。問題は、神の戒めを守る動機です。上に引用したロマ書の言葉、「文字に従う古い生き方」とは聖書に出てくるファリサイ派の人たちのように「守らなければならない」と考える生き方を指します。

  私たちは小さい頃から「良い子になりなさい」とか「親の言うことを聞きなさい」とか、将来成功するためにはいい大学を卒業しなければならない、そのためには勉強しなければならない、と言われてきました。「~しなければならない」という生き方は私たちに染みついているのです。キリスト者になったら、神の教えを守らなければならないと自然に考えてしまいます。そして信仰生活が窮屈になります。神の教えを守れないと思えば、自分を責めたり、自分は罪深いと考えたりします。

 上に引用したロマ書の言葉に「“霊”に従う新しい生き方」とあります。

 キリスト者はイエス・キリストに結ばれ、この新しい生き方に生きることが可能な人にされました。これは聖霊に導かれて生きるという意味ですが、別な表現をすると神を愛して生きるということです。神を愛する心は聖霊が与えてくださいます。そして聖霊はキリスト者のうちに住んでおられます。キリスト者は、この新しい生き方を生きる人とされたのです。

 神を愛する人は、神の御心を大切にします。ですから神の教えを「守らなければならない」とは考えません。逆に神の教えを「守りたい」と考えるのです。喜んで守ろうとします。神の教えはそれを守ること自体に祝福があると信じているからです。神への信頼があります。神の教えを守りたいと考えるように導かれるのです。

ヨハネ一 5:3
神を愛するとは、神の掟を守ることです。神の掟は難しいものではありません。 

  問題はどうしたら神を愛するキリスト者になるか、です。

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