クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

私の好きな聖句(6)

ローマの信徒への手紙 6章14節

あなたがたは律法の下ではなく、恵みの下にいるのです。

 あなたがたは律法の下にはいない、とあります。律法の下にいるとは、律法を守らなければならないという世界に生きることです。守らなければ、逆らえば、怠ければ、責めを負うことを意味します。つまり神に裁かれることを意味します。

 牧師となったからには、聖書を読まなければいけない、祈らなければならない、勉強しなければならない、~しなければならないと考えて不自由で、苦しい思いをしました。

 このロマ書の言葉はうれしいです。この言葉により私は救われました。私は自由にされました。キリスト者の自由です。そして信徒の人に言いました。

「律法を守らなければならないと考えているなら、律法を守らなくてもいいんですよ。守らなければならないと考える必要もないんですよ。自由でしょ!」。

 私たちはイエス・キリストを信じるゆえに、神さまから義とされ、神の子とされています。神さまに愛されています。それなら「神の教えを守らなければならない」と考える理由は何でしょうか。「信仰者は、神の教えを守らなければならないと思いますが」との答えが返ってくるかもしれません。そこで忘れてはならないことは、キリスト者は恵みの下にいることです。

 イエス・キリストを信じる人は、恵みの下にいます。律法を守る・守らないに関係なく、神の子として受け入れられ、罪の宣告を受けないという恵みを受けています。さらに神の恵みである神の力を受けて神の教えを守ることができるようにされています。これが大事です。

「肉ではなく霊に従って歩むわたしたちの内に、律法の要求が満たされるためでした」(ローマ8:4)。

 神さまの御心は、私たちが聖霊の導きを受けて、神の教えを喜び、自ら進んで守るようになることです。聖霊の導きは恵みとして与えられます。求めれば聖霊の導きを与えられる世界に私たちは置かれているのです。私たちは義務として神の教えを守るのではなく、神の恵みを受けて神の教えを守ります。そこには「守らなければならない」という不自由感はありません。

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散歩道にて 木立(キダチ)ダリア