使徒パウロは、この世を去ってキリストと共にいたいと熱望しています。
わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。けれども、肉において生き続ければ、実り多い働きができ、どちらを選ぶべきか、わたしには分かりません。この二つのことの間で、板挟みの状態です。一方では、この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており、この方がはるかに望ましい。
(フィリピ1:23~25)
私はパウロの願い、この世を去ってキリストと共にいたいとの願い、そしてこのように願う彼の信仰に憧れています。パウロにとってキリストとの交わりに生きることがすばらしいので、天上でのキリストとの交わりを熱望しているのだと思います。
それで私は
「キリストとの深い交わりに生きることができるように導いてください」
といつも祈っています。最近一つの気づきを与えられました。それはヨハネ福音書11章を読み、思いめぐらしている時のことです。イエス様は言われました。
「私は復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか」。
「このことを信じるか」。イエス様は私にもこのように語りかけ、私の答えを求めておられる、と考えます。するとここにイエス様との交わりがあることに気づきました。イエス様は「このことを信じるか」と語りかけるお方です。これに私が応答する、そこにイエス様と私との交わりがあると教えられました。
私が今課題としている一つは、イエスを信じない者は本当に滅びるのか、という問いです。滅びがあるから救いが必要とされるわけです。でも私は信じない者の滅びをはっきりとは語ってこなかったのです。罪ある者は神の国には入れない、罪赦される者が救われ、神の国に迎えられると語ってきました。その私にイエス様は、「信じない者の滅び、これを信じるか」と問うておられると受けとめ、「信じます」と答えたいと考えるようになりました。
口先だけで「信じます」と答えればいいわけではなく、聖霊の導きにより信じることを願っています。「滅び」など信じない現代人にいかに説得力をもって滅びを語ることができるのか。楽しみな課題です。
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
(ヨハネ3:16)