holalaのブログ

隠退(引退)牧師holalaのブログです。

新しい人とされていることを喜ぶ

 新しい人として生きようとすると罪との戦いが生じます。つまり聖書の教えを具体的に実践しようとするとその教えに抵抗する自分を見いだすのです。神さまの教えに反発する自分を知らされるのです。つまり自分の真の罪を思い知らされるのです。罪とは、神ご自身を憎む自分のあり方であると知ります。

 自分は罪深いから仕方がないと思い、聖書の教えを実践するのをやめるなら、新しい人は死んでしまいます。キリストによる救いの恵みを知らない信仰者、つまり信仰者の名に値しない人になってしまいます。

 新しい人として生き続けようとするなら、自分を罪より清めてくださいとの祈りが生まれます。「神よ、わたしの内に清い心を創造してください」と祈るようになります。詩編51は、罪は犯したが信仰者としてなお生き続けようとする人の祈りとなっています。

 そして信仰者は聖霊の導きを求めます。聖霊なる神さまは、御言葉に生きようとする私たちを励まし、力を与えてくださいます。この力を与えられ、み言葉に従っていく時、私たちは罪に打ち勝ち、罪から実際に清められていきます。

 聖霊なる神さまは、あなたの内におられます。忘れないでください。

「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである」(ヨハネ福音書14章から)。

 そして聖霊なる神さまの導きを受けるために必要なことは、本気で、御言葉に生きようとすること、つまり神さまに対する従順です。新しい人、それは神の子であり、父なる神様に対して従順な人です。

 そこで一番大切なことは、私たちが新しい人、神の子として生きていきたいと願うことです。新しい人として生きなければならない、などと絶対に考えません。これでは律法主義に陥ってしまいます。イエス様は私たちに自由を与えて下さいました。私たちが自由な心で、新しい人として生きていきたいと願うようになったら、新しい人として生きていきます。

 そのためには新しい人にされている、神の子にされている、そのことを喜ぶのです。ちょうどひなたぼっこをして日射しを浴びて気持ちいいなあ、うれしいなあと思うように、新しい人にされている、神の子にされている、ありがたいなあ、うれしいなあと、信仰者のアイデンティティーを喜ぶのです。そうやって喜ぶことができるようになったら、新しい人として生きていきます。罪と戦います。神の恵み(聖霊のお働き)により勝利が約束されています。

 新しい人として、神の子として生きている喜びが、礼拝の司式者の祈りの中に表現されることをわたしは願っています。


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