クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

人生航路の第三段階(8)未信者に対する審き

 信仰者にとって未信者の家族の救いは課題です。教会員の未信者の伴侶の葬儀を依頼されたときは、悩みます。葬儀では慰めの言葉、希望の言葉を語るように心がけます。未信者の伴侶の方が、救いに入れられ永遠の命を与えられると語ることはできません。未信者ということは、自分の罪を悔い改めていないことを意味します。

 遺族に慰めを語らなければならないからといって、安易に神さまの国に迎えられましたと語ることはできません。それは偽りを語ることになるかもしれません。聖書によれば、御子イエス・キリストを信じる人は永遠の命を与えられます。しかし信じない人がどうなのかは書かれていません。

ヨハネ 3:16
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

 確かなことは、御子を信じる者は滅びることなく、永遠の命を与えられるということです。御子を信じる者は信仰によって義とされ、神の前に義人とされました。それゆえ最後の審判において救いに入れられます。これは聖書に照らして確かなことです。

 未信者の家族はどうなるのでしょうか。こんな聖書の箇所があります。使徒パウロがフィリピの町で伝道し、投獄されたときのことです。真夜中頃、パウロたちが賛美の歌を歌っていると大地震が起き、牢の扉がみな開きました。看守は、囚人がみな逃げたと思い込み、剣で自殺しようとします。パウロは自殺を思いとどまらせます。「救われるためにどうしたらよいでしょうか」と看守がパウロに尋ねたとき、パウロは答えます。

使徒言行録 16:31
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」。

 この時、パウロたちは看守の家族に主の言葉を語ったと聖書に書かれています。そして看守とその家族は洗礼を受けたとあります。看守の家族は信じたのです。

 聖書に明確なこととして書かれていることは確かなこととして信じることができますが、書かれていないことは分からないと答えるべきだと考えます。ですから未信者の人が救われるかどうかは分からないと考えます。

 キリスト者にできることは未信者の家族の救いのために祈り、教会へ誘い、信仰に生きることの必要、幸いなどの証しをし、信仰に導く努力をすることです。そして未信者の家族のことは神さまにゆだねます。

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