「A長老、こんにちは」
「Bさん、こんにちは」
「あれから家に帰り、ローマの信徒への手紙を読んでみました」
「読まれましたか。いかがでしたか」
「1章から8章まで読んでみました。正直、むずかしかったです」
「そうですね。信仰の事柄が書かれていますので、実感できないと理解がむずかしい面がありますね」
「はい、そうなんです」
「Bさんが山上の説教を読んで、心の貧しい人々は幸いである、悲しんでいる人々は幸いであるとのイエス様のお言葉は理解できないとおっしゃったので、ちょっと遠回りかも知れないと思いましたがパウロのことをお話ししています」
「どういうことですか」
「クリスチャンを迫害していたパウロなら、イエス様の言葉に対して、Bさんと同じ反応を示したと思います。でもキリストを宣べ伝えるパウロなら、イエス様の言葉に対してその通りと共感したと思います。それでパウロの気持ちの変化を考えてみたかったのです」
「パウロの気持ちですね。クリスチャンを迫害している頃のパウロは、自信満々で自分のことを誇りに思っていたのに、キリストに出会ったら、それらの誇りはくずに等しいと思うようになったんでしたね。そして自分はなんとみじめな人間なのかと嘆きました」
「Bさん、パウロのことをよく理解されていますね」
「はい、ありがとうございます」
「パウロは、律法の義においては落ち度のない者と語り、自分は律法を守っていると誇りに思っていたわけです。律法は言うまでもなく神さまの戒めです。自分は律法を守っているとの自信が吹っ飛んで、自分には善をなそうとする意志はありますが、それを実行できないのですと語りました。今やパウロは、自分は神の律法を全く実践できないみじめな人間だと告白するようになったのです。何が起きたのでしょうか」
「さあ、何が起きたのでしょうか。教えてください」
「まず確かなことは、イエスはメシアではないと思っていたパウロは、イエスは神が遣わしたメシアであると知ることになりました。自分の認識に間違いがあったことをパウロは知ります。成熟した人にとって自分の考えに大きな間違いがあることを知ることは、ショックなことだと思います。しかも事は、信仰に関わることです」。
「それは分かるような気がします。私はイエス様を救い主と信じていますが、イエス様は救い主ではなかった、と仮に教えられたら大ショックです」
「そうですね。そこでパウロは、イエス様は救い主であるとの前提に立って、考え直したと思います。使徒言行録の8章の1節に、『サウロは、ステファノの殺害に賛成していた』とあります。ステファノは殉教者です。サウロ、つまりパウロはステファノが殺される前に語った聖書に関する話を聞いたのではないかと私は想像します。さらには、当時のキリスト者たちが語っていることを聞いたかもしれません。そして聖書を読み直したというか、聖書を今一度新しい思いで理解する努力をしたのではないかと思います」
「なるほど」
「パウロは、神の戒めではなく神の御心に注目したのではないか、と私は推測します。パウロにとって信仰とは律法の実践であり、彼は神の御心に注目することはなかったのです。これは私の独断かもしれません。Bさんは山上の説教を読まれましたね」
「はい、『心の貧しい人々は幸いである』を始めとして一連の幸いであるとの言葉は理解できませんし、正直、受けいれがたいと感じています」
「イエス様が『あなたがたも聞いているとおり、姦淫するなと命じられている。しかし、私は言っておく。みだらな思いで他人の妻を見るのは、心の中でその女を犯したのである』。イエス様は文字通り姦淫をしなくても、心の中で姦淫を犯すことがあると教えられました」
「なかなか厳しい教えですね」
「私は、パウロは神の御心を考えるようになり、イエス様のように考えるようになったのではないかと推測しています。そうすると私は神の戒めを守っていますとなかなか言えなくなります。どうですか、Bさんは」
「そうですね、心の中には色んな思いが湧いてきます。でも行動に表さず、自制できればいいのではないですか」
「世の多くの人たちはそう考えますよね。でも色んな思いや欲から自由にされた人はどう生きると思いますか」
「そんな人がいるんですか」
「私はそれがクリスチャン、キリスト者だと考えています。聖書はそう教えていると思います」
「そうなんですか」
「パウロは、神の御心を考えるようになった時、自分は神の戒めを実行したいとの意志はあるけど現実には実行できない、私はなんてみじめな人間なのだと告白したのだと思います」
「ふ~ん。でもそこまで自分に厳しく考える必要があるんですか」
「必要があるかないかではないんです。人は、時に自分のみじめさ、自分の罪深さを思い知らされるんです」
「なんか怖いですね」
「Bさんも一度味わってみるといいと思いますよ」
「えっ、そんなこと言わないでください。今日は、怖い話はこれ以上聞きたくないので、これで失礼します」
「さようなら」