クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

わたしの憧れ

 わたしにとってパウロは信仰の師です。彼はこう書いています。

コリント一 11:1
わたしがキリストに倣う者であるように、あなたがたもこのわたしに倣う者となりなさい。

 パウロに倣うことはキリストに倣うことにつながるというのです。パウロに倣うこと、パウロを見本とすることを私は大切にしたいと思っています。そこでもう一つ、わたしにとって大切なパウロの言葉があります。

フィリピ 1:21~24
わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。けれども、肉において生き続ければ、実り多い働きができ、どちらを選ぶべきか、わたしには分かりません。この二つのことの間で、板挟みの状態です。一方では、この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており、この方がはるかに望ましい。だが他方では、肉にとどまる方が、あなたがたのためにもっと必要です。

 パウロは死ぬことは利益であると語ります。なぜなら、この世を去って、キリストと共にいることをパウロは熱望しているというのです。死んでキリストと共にいることを最高の喜びとしているのです。最高の喜びだから、今、世を去ってもいいと考えています。他方でこの世に生きるなら、実り多い働きができる。そこでどちらを選んだらいいのか、分からないというのです。

 私は牧師としての働きから引退しました。実り多い働きにかかわることはありません。それゆえ「この世を去って、キリストと共にいたいと熱望している」というパウロの心境に思いが向きます。パウロは今この世を去ってキリストと共にいたいと熱望します。私は、今すぐ世を去りたいとは思いませんが、キリストと共にいたいと熱望する信仰に憧れます。

 ここにもキリストが登場します。キリストに結ばれキリストとひとつになって歩んだパウロの信仰を思います。パウロのキリストとの交わりは深くて濃いです。どうしたらパウロのようなキリストとの交わりに生きることができるのでしょうか。分かりません。だからパウロの心境に近づきたいというのが、私の祈りです。そして老いを生きる課題です。

ネモフィラ 馬見丘陵公園