クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

故人との再会

 最近、テサロニケの第一の手紙を読んでいます。先週読んだ箇所です。

4:13
兄弟たち、既に眠りについた人たちについては、希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまないために、ぜひ次のことを知っておいてほしい。

 こう書いてパウロはクリスチャンの希望を語り始めます。主の再臨につづいてクリスチャンは復活し、「わたしたちはいつまでも主と共にいることになります」と語ります。またパウロはフィリピの信徒への手紙で

1:21
わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。

と語り、続けて「この世を去ってキリストと共にいたいと熱望している」(1:23)と書いています。パウロにとって「主と共にいる」「主といつまでも共にいる」ことが最終的な希望であることがわかります。

 牧師として教会員の葬儀を執り行いました。その時、「式文」に書かれた聖書箇所、葬儀に関わる言葉を読みます。その中で、故人との再会の希望が語られるのです。天国での再会です。天国での再会があると伝えることは遺族の方たちに慰めになると思います。しかし私は少し違和感を感じていました。聖書はこのような天国での再会を直接的には語っていません。私が聖書を読んだ記憶の中では、語っていません。もしかしたら見落としているかもしれませんが。

 パウロは信仰者の希望は「主と共にいることにある」と語ります。私たちが主と共にいることになるので、主の前で再会する可能性はありますから、天国での再会を語ることはよいと思います。
 でも、しかし、と思うのです。聖書が語る第一の希望は「主と共にある」ことです。パウロは今すぐ「この世を去ってキリストと共にいたいと熱望している」と語ります。このような熱望はどこから出てくるのか、私は知りたいです。「主と共にある」ことが真の希望としてもっと語られるとよいと思います。第一のことより第二のことが優先されて語られていることに私の違和感の理由があったことがわかりました。

 

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ひまわり 馬見丘陵公園