クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

死ぬことは利益なのです

フィリピ1:21~23
わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。けれども、肉において生き続ければ、実り多い働きができ、どちらを選ぶべきか、わたしには分かりません。この二つのことの間で、板挟みの状態です。一方では、この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており、この方がはるかに望ましい。・・・

 パウロは、「死ぬことは利益なのです」と語りました。どうしてそんなこと言えるんだろうと思っていました。この聖句の箇所を説教してみたいと思いました。幸いに8月に説教奉仕の機会が与えられることになり、一ヶ月の説教準備の時が与えられました。そして8月30日に説教をしました。

 死んで神の国に行けばキリストにお会いすることができる、これがパウロにとって死ぬことが利益である理由です。しかもパウロは今すぐにでも、この世を去ってキリストに会い、キリストと共にいることを熱望すると語ります。

 パウロはキリストを愛し、目と目を合わせるようにしてお会いすることが大きな喜びなのだと思います。そしてキリストと共に永遠を過ごすことを喜びにしています。パウロにとって、キリストってどのような方なのかと思います。答えは簡単で、パウロはキリストを愛しているのです。だからキリストとお会いすることを熱望しています。

 私の知っているある姉妹は、若い娘さんを天に送りました。だから自分が天国に行ったら娘に会うことを楽しみにしていると言われました。娘さんを愛しているから、会うのを楽しみにしています。

 それで思います。自分はイエス様をどれほど愛しているのか、と。自分にとってイエス様というお方はどのようなお方なのか。愛しているからこそ、私は生涯をささげて福音を宣べ伝えてきましたし、イエス様に従い、イエス様に似た者になることを目指してきました。でもパウロのように、今すぐこの世を去ってキリストと共にいることを熱望することは私にはありません。あわてなくてもいずれ天に召されるのだから、その時イエス様にお会いすることを喜べばよいと今の私は思っています。

 でもパウロのように熱望できたらいいなと思う心があります。イエス様ってどのようなお方なのか、考えるチャレンジを与えられた思いです。イエス様を誰とするのか、という信仰のチャレンジでもあると思います。