クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

探しなさい、そうすれば見つかる

 先日出かけようとしたら、定期入れがいつもある場所にありません。定期入れには「ナナマルカード」を入れてあります。奈良市では70才以上の人にナナマルカードを発行してくれます。バス代が1回100円になります。妻にも探してもらいましたが見つかりません。カードの再発行が必要かと思い、その手続きをネットで調べもしました。焦りました。しかし最後に、ハイキングに行く時バスに乗ったことを思い出し、外出する時に使う小物を入れるポーチを調べたら、見つかりました。

 今日、ようやく見つけたものがあります。それはある朝目覚めた時に、あるメロディーが頭の中に鳴っていたのです。ピアノ曲です。メロディーを書き留めておけばよかったのですが、忘れました。でも聞けば分かるだろうということで、探し始めました。7月8日から、シューベルト、モーツァルト、ショパン、シューマン、そしてベートーベンのピアノ曲。今日ベートーベンのピアノソナタ第21番の第3楽章が始まったら、あのメロディーが聞こえてきました。30枚ほどのCDを聞いたでしょうか。およそ一ヶ月ほどかかりましたが見つかりました。

 そしてもう一つ今探しているものがあります。これは霊的な探しものです。パウロが自分の信仰告白として語っている言葉があります。

フィリピ1:21
「わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです」。

 23節でパウロは「この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており」と述べています。今すぐでも世を去ってキリストと共にいたいというのです。キリストと共にいることができる、それゆえに死ぬことは利益だというのです。

 私は思うのです。「今すぐ」なんてあわてなくても、急がなくても、いずれイエス様のもとに行くのだから、それでいいんじゃない、と。しかしパウロは、そうではないんです。今すぐ世を去りたいのです。主イエスと一緒にいたいのです。その熱望がどこから生まれるのか、それが今の探しものです。

 パウロは老齢期にあり、伝道に疲れたんじゃないか、生きることに疲れたんじゃないか、と言う人もいるかもしれません。そうではないと思います。弱音を吐くようなパウロではないと思います。

 

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ひまわり 馬見丘陵公園で