ローマの信徒への手紙においてパウロが語るキリスト者像を先日ブログに書きました。もう一度書きます。
- キリスト者は律法に背いても罪をとがめられず、罪の責めを受けません。
- キリスト者は神を知り、神を喜び、神を誇ります。
- キリスト者は神の戒めを喜んで進んで行いたいと考えます。
- 神はキリスト者に神の戒めを行う力を与え、キリスト者は神の戒めを守ります。
今回は4番目です。「神はキリスト者に神の戒めを行う力を与え、キリスト者は神の戒めを守ります」。
うれしい言葉ではないでしょうか。救いは罪の赦しに留まりません。キリスト者は神を喜び、神の戒めを喜び、これを行う人です。多くのキリスト者が成長してこのような信仰者になることを願います。
これは信じられないという人がいると思います。他方で、その通りだという人もいると思います。どちらが本当なのでしょうか。どちらも本当だと思います。人間の実感に基づいて語るなら、「信じられない」という人の言葉は真実であり、「その通りだ」という人の言葉も真実です。大切なことは、聖書がどう語っているかです。神は全能の神であり、人間を愛し、人間を罪から救う神であり、恵みの神です。
ヨハネ福音書 15:5
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。
この実を結ぶ人は、キリストにつながることで神の戒めを守る力を与えられ、守り、実を結ぶことができると私は考えますがどうでしょうか。