クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

人生航路の第二段階(46)救いの恵み~罪に対する勝利

 人がキリスト者になると、神の教えに従おうとの思いを抱くようになります。礼拝で説教を聞き、自分でも聖書を読む中で、神の戒めを知ると、従おうとします。しかし戒めによっては問題が起きます。

 従いたくない心 > 従おうとする心

 従いたくない心があることにキリスト者は気づきます。恐れや不安、プライド、その他の思いが従うことをためらわせるのです。人によっては、従おうとする心があるのに従えない自分に落胆、絶望するかもしれません。しかしその時こそ、救いが訪れるときです。

私は何とみじめな人間なのでしょう。

 その時、聖霊により神の愛が注がれていることを信じ、頼みにします。それしか道はありません。そして一つの確かな道があります。「神よ、あなたを愛します。あなたへの愛を私の心に注いでください」と聖霊の助けを心から求めて祈ります。すると逆転が起きます。

 従おうとする心 > 従いたくない心

となります。神の恵み、救いの恵みによって、聖霊が私たちのうちに住んで下さり、私たちの心を励まします。神の御心に従おうとする意志を強くしてくれます。その結果、従いたくない心に打ち勝ち、罪に打ち勝つことができます。キリスト者は神を喜び誇りとし、神の戒めを喜んで守るようになっていきます。

 聖霊はキリスト者の自由を無視してキリスト者を導くことはなさらないと私は信じます。つまりキリスト者の意志を無視して、強制的に神の御心に従わせるようなことはしないと信じます。あくまでもキリスト者が、神の御心に従うので力を与えてくださいと助けを求めて祈る時、祈りに答え、力を与えてくださると私は信じています。

 つまりキリスト者が本気で神の戒めに従おうとして助けを求めて祈る時、聖霊は助けてくださるということです。本気であることを示すには、戒めに従う行動に踏み切ることです。そうすれば助けが来ます。御心に従うための力を与えられます。

 聖霊なる神は謙遜な方なので、キリスト者が本気で従う意志を示すまで待っておられます。

ヘブル12:1
こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか。

 私たちは自分の力で罪に勝つことはできません。罪に打ち勝つ力は聖霊が与えてくださいます。罪に打ち勝とうという決断、これは自分が決断します。

 神の愛を私たちの心に注いでくださる聖霊、神を愛し、神の教えを喜んで守ろうとする心を与えてくれる聖霊。神の息である聖霊。

讃美歌177
1.
かみの息よ われをいやし
疲れしこころを つよめたまえ

2.
かみのいきよ われをきよめ
みかたちの如く ならせたまえ

3.
かみのいきよ われに満ちて
みこころを常に なさせたまえ

4.
かみのいきよ われを活かし
み側をはなれず おらせたまえ

アキノタムラソウ 散歩道