クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

救いを考える(4) 御子の支配下に生きる

マタイ 4:15~16
「ゼブルンの地とナフタリの地、/湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、/異邦人のガリラヤ、暗闇に住む民は大きな光を見、/死の陰の地に住む者に光が射し込んだ」。

 私は信仰を得る前は、闇の中にいると思っていました。希望がありませんでした。平安がなく、喜びがありませんでした。死の恐れ、生きることのむなしさにとらわれていたからです。信仰を得て神の戒めを知ると、戒め通りに生きることのできない頑なさ、弱さを感じてきました。普段の生活では、何の問題も持っていないような明るい素振りで仕事をし、楽しく生きているように装っていました。


 罪とは神を信じないこと、神を畏れ敬わず、神の御心を大切に思わないこと、そして神の御心に背くことです。生まれながらの人間は、神を知らずに生き、罪を犯していると自覚することなく、罪を犯して生きています。罪の支配下にあるのです。洗礼を受け、クリスチャンになると神の戒めを知り、自分が罪を犯していることを自覚します。他方で、罪の赦しを受けることができるので、ある程度の平安は得ることができますが、時に自分は罪深いとの思いを持ちます。

 信仰者になっても、なかなか信仰に生きる喜びを持つことができません。信仰に生きる喜びを語って伝道することなどできません。

 やがて私は知りました。自分は罪の支配下にあること、闇の中にいること。そしてキリストに結ばれるとき、闇から光へ、罪の支配下から御子の支配下に自分が移されたことを。御子の支配下に生きることが救いであることを。そして救いの恵みを知りました。

 キリストに結ばれた者となり、神の前に義とされました。永遠の命を与えられました。新しく生まれ変わり、神の子とされました。神の言葉が私の道の光となり、私の歩みを照らす光となりました。私は御言葉によって生きる者に生まれ変わり、父なる神の言葉によって生きる神の子に生まれ変わりました。

 救いとは、単に罪が赦されることではなく、御言葉によって生まれ変わり神の子として生きるようになることだと考えます。キリストに結ばれていると信じて、神の言葉、キリストの言葉を大切にして生きるとき、義なる者として歩み、聖なる者へと変えられていき、神の子とされていることの確信が与えられます。

 このような歩みをする信仰者に対して罪を犯すように働きかける力がなおありますが、もはや私を支配することはありません。

ヤコブ 4:5~7
「神はわたしたちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに深く愛しておられ、もっと豊かな恵みをくださる」。それで、こう書かれています。「神は、高慢な者を敵とし、/謙遜な者には恵みをお与えになる」。だから、神に服従し、悪魔に反抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げて行きます

 聖霊の導きを求めて聖書を読み、聖霊の助けを求めて御言葉に生きるとき、悪魔は離れていきます。御子の支配下に身をおいて生きる、それが救いだと信じます。キリストに結ばれている、それがクリスチャンです。

馬見丘陵公園