朝メールをチェックしたら、神学校の関西支部の先生から訃報を知らせるメールが届いていました。亡くなったのはH先生。現役でまだ牧師として働きをなさっているようでした。75歳の生涯。私は76歳。人の寿命はそれぞれですが、自分はいつ死んでもおかしくない年齢であることをあらためて思います。年をとるとは、こんな経験を重ねることなのでしょうか。
スマホでyoutubeで讃美歌を聞きながら、夕食のカレーを作っていました。その時、讃美歌320番が聞こえてきました。「主よ、みもとに近づかん」です。4番の歌詞が心に留まります。
うつし世をば はなれて
天がける日 きたらば
いよよちかく みもとにゆき
主のみかおを あおぎみん
「天がける」とは、天に向かって駆けていく、つまり天に召されることを意味します。使徒パウロはフィリピの信徒への手紙でこう書いています。
フィリピ 1:23~24
この二つのことの間で、板挟みの状態です。一方では、この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており、この方がはるかに望ましい。だが他方では、肉にとどまる方が、あなたがたのためにもっと必要です。・・・
パウロは個人的には、この世を去ってキリストと共にいたいと熱望していると語ります。私もこのような心境になりたいと願い、神の導きを祈っています。それゆえ、主と共に生きる歩みを志しています。
私が息を引きとるときは、この讃美歌を聞きながら召されたいと願います。