クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

救いを考える(1) 二種類の人間

 使徒パウロはロマ書の5章で、世界中の人間は二種類に分類できると書いています。二種類、それは男と女ではありません。クリスチャンとクリスチャンでない人の二種類です。この二つの種類の人には、代表がいます。クリスチャンの代表はキリストであり、クリスチャンでない人の代表はアダムです。どちらの種類の人にしろ、その人は代表に従う歩みをします。

 クリスチャとンは、イエス・キリストを信じると告白し洗礼を受けた人です。洗礼を受けていない人はクリスチャンではありません。人はこの二種類のどちらかに属します。

 パウロは、ロマ書の1章18節から3章20節で、人は皆罪を犯し、神の怒りを受けるべき者となっていると書いています。パウロが生きていた時代に人々がどんな生活をしていたのか、その罪の有様が書かれています。異邦人(ユダヤ人でない人)も、神の民であるユダヤ人も皆罪を犯しているとパウロは書いています。

 人はなぜ罪を犯すのか、それは人は皆原罪をもって生まれるからであると説明する人がいます。創世記の3章でアダムが神の命令に背いて、とって食べてはいけない木の実を食べました。人類はアダムの子孫、それ以来、遺伝によって罪が受け継がれてきているので、人は皆罪を犯すのであるという説明です。わかりやすい説明です。

 パウロは「一人の人によって罪が世に入り」と書いています。アダムによって罪が世に入り、人は皆罪を犯すようになったいうのです。アダムは人類の代表であり、人類は皆罪を犯すとパウロは語ります。

 するとどうなるのでしょうか。アダムを代表とする人々は、罪を犯し、神の怒りを受ける者となり、罪の報酬として死ぬことになります。救いを必要とします。

ローマ 5:12
このようなわけで、一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。

 イエス・キリストを代表とする人、それがクリスチャンです。聖書では、クリスチャンのことを in Christ と表現しています。それでクリスチャンは「キリストに結ばれている人」(新共同訳聖書)、「キリストにある人」(口語訳聖書)と訳されています。

 キリストに結ばれたクリスチャンは神の恵みと恵みの賜物を得、命を得るとパウロは語ります。

ローマ 5:17
一人の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば、なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになるのです。

ローマ 5:18
そこで、一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです。

 人類は二種類の人に分けられるというパウロの洞察は面白く、信仰を理解する上で大きな助けになります。

 救いとは、アダムにつながっていた人がキリストにつながる人になること、ということができます。クリスチャンになるとは、アダムとのつながりから離れ、キリストにつながることということができます。

イロハモミジの花 小さいです 散歩道