聖書には、イエスの弟子のペトロさらに復活のイエスから使命を与えられたパウロが福音を宣べ伝えた様子が記録されています。ペトロやパウロが亡くなった後、福音宣教はどうなったのでしょうか。ペトロはイエスを直接知っていました。イエスの活動、その教えを直接知っていました。ペトロが亡くなり、次の世代の人たちは、イエスのことは直接知りません。ペトロがイエスのことを誰かに語れば、イエスについて伝えることはできますが、それを聞いた人はペトロと同じようにイエスのことを伝えることはむずかしいと思います。
ペトロやパウロ、イエスを直接知っていた人たちの伝道によって教会ができたにしても、イエスを知る人たちがいなくなり、やがてイエスのことは忘れ去られるという事態が起きても不思議ではありません。イエスの出来事が風化する可能性がありました。でもそうなりませんでした。
たとえばイエスが教えたことをある人たちは文章に残しました。そういう努力が何人もの人によってなされ、イエスの教えをまとめたものが残されました。やがてそういう資料を基に、イエスの活動と教えをまとめた「福音書」というものが生まれました。聖書には4つの福音書が含まれていますが、聖書には含まれていない「トマス福音書」なる文書も存在しています。
また使徒パウロは自分が伝道してつくった諸教会に手紙を送りました。それは信仰の指導のために書かれた書簡です。聖書で私たちはそれらを読むことができます。個々の教会に宛てて書かれた手紙が、このように聖書という形にまとめられたということは、諸教会が連絡を取り合ってパウロの手紙を大切に保存していたこと、共有していたことを意味しています。しかも個々の教会は、互いに離れています。連絡を取り合うためには、歩いて出かけなければなりません。教会の交わりがあったので、手紙は大切に読まれたし、保存されました。また福音書も諸教会で読まれるようになりました。
そして福音は、イエスのことは直接知らなくても、これら福音書や手紙から福音を読み取った人々によって伝えられるようになりました。イエスの教えたことをまとめるだけでも、何人もの人々に聞き取り、まとめる作業が行われたと思いますし、そこにはイエスの教えを残そうという信仰があったと思います。パウロの手紙も、自分たちの信仰を導く大切な文書として手紙を受け取った教会は大切に保存しました。教会間の交わりで、そういう大切な文書があることが分かればそれを共有します。そしてイエスを信じる信仰がどういうものか分かち合いながら福音が宣べ伝えられていったのではないかと思います。
福音書をまとめる努力、手紙を保存するという判断、教会間で共有することを通して、やがて聖書がまとめられていきました。この聖書があるから、福音は今日まで世界中に宣べ伝えられたと言ってよいと思います。このような文書を残した人間の努力は、神さまの導きの下にあったといえるのではないかと思います。
聖書という存在が福音宣教を可能にしました。