福音が宣べ伝えられる第一の場面は教会の礼拝です。神さまに召された説教者が福音を語ります。あるいはキリスト教の諸集会で牧師が福音を宣べ伝えることもあります。
福音を伝えるのは、牧師だけでなく、信徒もまたキリストの証人として福音を伝える存在です。それは、福音を言葉で伝えることもあれば、その存在を通して福音を伝える、あるいはキリストを証しするということがあります。
キリスト者もキリスト信仰をもたない人と同じ時代を生き、様々な問題に直面しながら生きています。キリスト者になったら問題に直面しないということはありません。苦しい思い、つらい思いをクリスチャンも経験します。しかしクリスチャンはどんな時も喜びをもって生きることができると聖書は語ります。そのことが世の人々に伝わることは伝道になると私は信じています。
これまでキリスト教会では、家庭集会という集会を開いてきました。聖書を中心とした交わりの場で、聖書の学びが行われ、キリスト者としてこの人生を生きる歩みの分かち合いが行われます。ここに未信者の人がいると、キリスト者はそんな風に生きるのか、と知り、自分もそのように生きてみたいとの思いが呼び起こされます。それが伝道につながります。
小グループの集会は、このような分かち合いに適しています。教会の集会でキリスト者だけの集会でも分かち合いが行われる時、互いに励まし、慰めることができます。
現代では、生きづらさを抱えている方が少なくないです。それを口に出せずひとりで悩みを抱え込んでいる人もいると思います。もし小グループの中で自分のことを語り、他の参加者に祈ってもらえる時、この交わりが居場所となり、支えとなると思います。伝道が困難な時代、福音に生きている人たちの交わりに触れる時、福音が伝わることを期待していいのではないでしょうか。
上に述べたような小グループの集いを行うのは簡単ではないかもしれません。しかしこの時代にあって、キリストを宣べ伝える現実的な「場」になると思います。私はそう信じて、不十分ですが、牧師として歩んできました。
ただ昔と比べて現代は皆忙しく、上に述べて小グループの集いに人はなかなか集えないので、伝道はさらに困難になっていると感じています。
コロサイ 3:16~17
キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。そして、何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい。
