クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

福音の力

 今朝は、第二コリント4章を読みました。7節の言葉を思いめぐらしました。 

コリント二 4:7
ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。 

  土の器とは壊れやすいもろい器を意味しますが、私たち人間のことだと思います。そして「このような宝」は、福音を意味していると考えます。すると福音は、並外れて偉大な力を持っていることになります。力と言えば、もう一つ思い出す箇所があります。

 ローマ 1:16

わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。 

  福音は神の力だというのです。福音は一人一人の人間に対して働きかけ、救いをもたらす神の力、並外れて大きな力だと聖書は語ります。そんな大きな力が私に働きかけたのかと思いめぐらしました。 

 福音を信じ、私は生き方が変わりました。若い頃クリスチャンの女性と何回かお見合いをしたことがあり、目に見えない神を信じることの不思議を思いました。目に見えない神を信じることは私にはできないと思っていました。ところが伝道集会に誘われ、不思議な機縁で教会に通い信仰を持つようになりました。私は信仰者として生きるようになりました。

 福音を信じ、私は考え方が変わりました。ある出来事をきっかけに私は、聖書の神は生きて働かれる神であると信じるようになり、聖書の言葉を自分の考え方の土台とするようになりました。若い頃に身につけたものの見方・考え方、思想的な立場、経験から学んだこと、一般的な常識など物事を考えるときの自分の土台がありましたが、それらをまず横においておいて、聖書が語ることを土台にして物事を考えるようになりました。ふだんから聖書を読み、思いめぐらしました。

 福音を信じ、私は確かなものを見いだしました。人間が生きていく上で最も確かなもの、最も信頼できるものはなんでしょうか。人によって答えは違うと思います。私の場合は聖書です。聖書は真理の言葉と信じます。自分が真理を信じて生きることができる、これは大きな幸いです。

 福音を信じ、本当の幸いを見いだしました。人にとって何が幸いなのか、を見いだしました。神と共にあること、神と共に生きること。愛する人と共に生きること。これが人間の一番の幸いであると知ることができました。一番大切な教えは神を愛すること、隣人を愛することとイエス様は教えられました。全くのアーメンです。

 コリント二の4章4節でパウロは福音についてこう語ります。「神の似姿であるキリストの栄光に関する福音」。そしてパウロはキリストの栄光を見たのです。そして彼の生き方は変わりました。キリスト者を迫害する者からキリストを宣べ伝える者へ。さらにキリストを宣べ伝える中で死ぬような目に遭ったとしても、それはキリストの死にあずかることと受けとめました。つまりキリストと一つになるのです。キリストは受難の死を遂げました。宣教における苦難は、キリストの受難にあずかること、キリストと苦しみを一つにすることでした。

 そして死ぬような目から神さまに助けていただくこと、それは命を与えられることであり、キリストの復活にあずかることでした。パウロはキリストの死と復活を自分の宣教体験の中で味わったのです。福音は一人の人間をそこまで導く力があることを知ります。 

コリント二 4:8~10
わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています、イエスの命がこの体に現れるために。 

 

イエスの命がこの体に表れるために!

 

なんてすてきな言葉であることか。

 

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