クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

恵みの高き嶺

恵みの高き嶺 日々わが目当てに
祈りつ歌いつ われは登り行かん

 これは「恵みの高き嶺」という曲の歌詞です。私の手もとにある『聖歌総合版』では627番です。私はyoutubeでよく讃美歌を聞きます。昨年12月に偶然、この曲を耳にしました。それから何回か聞きました。すると段々この曲が、私の心の中に入ってきました。そして今や、どっかりと私の心の中に居着いてしまいました。

 「恵みの高き嶺」。憧れを感じる言葉です。今まで、この言葉を使ったことも聞いたこともありませんでした。でも意味は分かります。若い頃、私は山に登りました。頂上を目指して一歩ずつ登ります。頂上に着くことは喜びです。

 「恵みの高き嶺」は、信仰者が目指すものと考えることができます。こんな信仰者に自分はなりたいと考えたら、それが「恵みの高き嶺」です。

 私は三つの「恵みの高き嶺」を登ったと思っています。「恵みの」とありますから、自力で登ったわけではありません。気づかずに神さまに導かれて嶺に立ったことがありますし、この嶺を目指して登り続けているとき、神さまの恵みで嶺に到着したこともあります。

 最初は、神が生きて働かれる方であると知ったことです。神が生きて働かれることを知る、これも恵みの高き嶺だと考えます。ある出来事を通して、神が生きて働かれる方であると教えられました。恵みの出来事でした。この時から、確信を持って説教をすることができるようになりました。

 二番目は聖書を神の言葉と信じ、これに信頼する信仰です。物事を判断するとき、聖書のみ言葉によって考え、判断するようになりました。これは地道に聖書を読み思いめぐらす生活を続ける中で、聖霊の働きによって与えられたものと受けとめています。

 三番目は、聖霊が私のうちにおられるとの信仰です。聖書には洗礼を受けた者は、賜物として聖霊を受けると書いてあります。どのようにしたら自分の内に聖霊がおられるのか、それを知りたいと思いました。

使徒 2:38
すると、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。

 これについては、祈り、もがきました。標高の高い嶺でした。最終的に神さまは、私のうちに聖霊がおられることを教えてくださいました。恵みの高き嶺は一回登ったら終わりということではなく、次の高き嶺もあります。

ソヨゴの実