人生観という言葉があります。人それぞれの人生観があります。終わりを見て生きる、それが私の人生観です。命に終わりがあることを覚え、今どう生きるかを考える生き方。
キリスト者である私は、もう一つの終わりを考えます。聖書によればこの世界の終わり、終末の時があります。その時キリストがもう一度この世界においでになり、すべての人がどのように生きたのか、裁きを行うと教えられています。それゆえ、裁きに備えることが大切となり、それが生き方に影響します。
キリスト者はキリストを信じ神に義と認められているので、裁きを恐れる必要はありません。問題は、その後何が起きるか、です。キリスト者は復活して裁きを受け、その後、神の国に迎えられます。聖書によるとキリスト者は復活します。朽ちない体、霊の体に復活するとあります。それが具体的にどういうことかは書かれていません。
またフィリピ書には次のような言葉があります。
フィリピ 3:20~21
しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。
キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、「わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださる」のです。
キリストは「わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださる」とあります。私たちはキリストの栄光あるからだと同じ形に変えられるとあります。キリストの栄光あるからだと同じ形、つまりキリストに似た者へと最終的に変えられるのです。
最後に起きること、それはキリストに似た者へと最終的に変えられることです。言い換えると地上の信仰者人生で御子に似た者、キリストに似た者を目指す歩みが、ここで完成するということです。これが終わりに起きることです。
それで私はキリストに似た者となることを目指して、今を生きます。そして私はキリストと同じ形の体に変えられること、言葉では言い尽くしがたい喜び、感謝、光栄に包まれることを望みとし、今、キリストに似た者となることを目指して生きます。