クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

神の栄光を現すために

 偶像にささげられた肉を食べていいのか否か、パウロはコリント教会に手紙で教えています。その中でこう語ります。

コリント一 10:31
だから、あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい。

 何をするにもすべて神の栄光を現すためにしなさい。老いた今、この言葉が深く心に留まります。主の祈りでも「御名が崇められるように、御国が来ますように、御心が天で行われるように地でも行われるように」と祈りますが、これは言い換えると神の栄光が現れますようにとの祈りです。そして主の祈りを祈るとは、この私を通して、神の栄光が現れるようにとの祈りになります。

 これまでは自分が生きるのに精一杯で、神の栄光を現すことを考える余裕はありませんでした。でもキリスト者として神の御前に生きることは神の栄光を現すことになると信じています。ですから神の栄光を現すことに無関心で生きてきたわけではありません。

 私は罪赦され、罪から自由にされ、キリストに似た者となることを目指して生きてきました。神さまは人間をご自身に似せて造られましたから、キリスト者がキリストに似た者を目指すことは神の似姿になって生きることであり、神の栄光を現すことにつながると思っています。その意味で、これからもますますキリストに似た者となることを目指してキリスト者として生きていくつもりです。

 御国に迎えられる時は、私たちはキリストの栄光ある体からだと同じ体に変えられるとフィリピの信徒への手紙3章にあります。御国に迎えられてキリストと同じ体に変えられた違和感を感じないように、今もこれからも、御子に似た者となるように生きていきます(ヨハネ一3章)。

 神の栄光を現すこととじっくり取り組めることを老いた今、恵みと受けとめています。そして神の栄光を現す者となる、これが老いを生きる私の課題です。

 

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