愛は自慢せず、高ぶらないの教えを適用して、妻が私より優れている点を日頃の生活を思い起こし、確認しました。
1.観察力
妻は観察力で私よりすぐれていると思います。テレビで相撲を見ている時、力士の動きを見てとります。私は力士の動きを漠然と見ることしかできません。
料理でもどんな味がするのか、妻は細かく味わいます。毎朝朝食は私が用意していますが、この味噌汁、大根が甘くておいしいねなどと言います。私はおいしいか否かの判断はしますが、どの食材がどんな味になっているかなど分かりません。私は観察しようとしないのです。観察しようとする思いが私は弱いのです。私は物事を漠然と見ているのです。
妻は孫の世話をする時も、孫の様子をよく観察していて、孫の面白い振る舞いを私に聞かせてくれます。
2.慈しむ心
妻は孫と過ごす時、慈しむ思いで孫と関わります。どんなに幼くとも人格を持った存在と受けとめ、孫に接します。「子どもだから、まだわからないから」などと言わずに向き合います。猫かわいがりをするのではなく、人格を重んじて接するのはすごいと思っています。私は孫とどう接していいのか分からず、一緒に遊ぶことなどなかなかできません。こんな幼児がこんなことを言うの、と孫の語る言葉を妻から聞いて驚くことがあります。
3.仕える心
牧師引退後、どこに住むかを考えていた時、奈良に住む娘が双子を妊娠したことが分かりました。それで出産から育児の手伝いをするために奈良に住むことにしました。娘は早めに入院しました。娘が入院してから妻は娘の家に寝泊まりして娘家族のために食事の世話をし、出産後今日に至るまで、求められれば何でも手伝いをしてきました。よく仕えていると思います。
4.記憶力
基本的に私は関心外のこと、どうでもいいことはどんどん忘れていきます。これまでの教会生活の中で起きたことも私はかなり忘れてしまいますが、妻はよく覚えいて「あの時、こうだったのよ」と色々教えてくれます。
5.健康への関心
妻は大学で看護を学びました。看護師の資格は持っていますが、病棟勤務はせず、公衆衛生の仕事を一年して私と結婚しました。専門的な経験は少ないですが、健康に関する関心は強いと思います。清潔、不潔についてはいい加減にしません。食物については、添加物がどれほど含まれているかは確認して買物をしています。買い物は車で行くので、一緒に買い物をしますが、妻の健康感覚に感謝しています。
6.自分で確かめる
料理をする時、調味料は私はレシピ通りにします。味わってあれが足りないから少し加えようか、というようなことはしません。レシピ通りなら、そんなにおかしな味にはならないので。しかし妻は自分で味わい、味の調節をします。
野菜の下処理の仕方でも私は本で学び、書かれているとおりにします。野菜が少し古くなった時、外側の葉を捨てるか料理に使うかを判断する時、妻は口に入れて味わったらよいと言います。おいしいなら使うし変な味がすれば捨てます。私は野菜の外見で判断しようとします。自分で味わうのでなく、料理の本を参考にします。
7.励まし上手
私はキリスト者の家庭で育ったわけではなく、洗礼を受けて一年後に神学校に行き牧師になりました。教会がどういうものか分からずに牧師になったと言っても過言ではありません。小さい頃から親に連れられて教会に通い、洗礼を受けてキリスト者になり、やがて神学校に行き牧師になった人は、教会がどういうものか、肌感覚で分かっているという面があります。わたしにはそれがなく戸惑うことが多かったです。引け目を感じる私に「教会とはこういうものという先入観に囚われることがない、いいじゃないの」と励ましてくれます。このような励まし上手に私は助けられました。