クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

振り返って思う神の導き(3)牧師への導き

 私は小さい頃から死を恐れ、大学時代に大学紛争があり、空しさにとらわれました。生きることに意味を見出せず、しかし表向きはそんなことは少しも態度にも表情にも出さず、サラリーマンとして社会人生活を始めました。心の中でひそかに思っていたことは、そのためなら死んでもかまわないと思えることをしたいということでした。そうすれば死に打ち勝つことができると考えました。

 やがて洗礼を受けましたが、聖書をもっと知りたいとの思いを持つようになりました。他方で会社の仕事は、一生する仕事ではないというか、天職には思えませんでした。正直言えば、チームを作って仕事をするのは自分には向いていないと思いました。特に自分は管理者には向いていないと思いました。人間関係が苦手なのです。会社には自分の未来がないと感じていました。やがて夜間の神学校に行く思いが与えられました。牧師になりたいとの思いではなく、聖書を知りたいとの思いからでした。

 幸いに入学を許されました。4月に入学し5月に結婚し、昼間は仕事夜は神学校の生活を4年間しました。神学校は夜の6時から9時までです。帰宅は夜の11時前、朝出勤は7時前。若いからできた生活だと思います。何のために結婚したのかと妻は思ったと思います。そして4年生になる頃には牧師になるのが当然というような気持ちになっていました。この頃は35歳になっていました。

 東京駅で母教会の牧師や教会員の皆さんに見送られて、妻は2歳の長男の手を引き背中に乳飲み子の長女を背負い、新幹線に乗って新しい人生に踏み出したことを思い出します。

 牧師になって折に触れて、自分はこの働きのために命をかけることができるか、命を惜しまないで働けるかと自分に問いました。この働きのためなら命は惜しくない、との思いが段々と確かになっていきました。

 

祈り
あなたをまだ知らないときに私が心の中で願ったことをあなたは聞いてくださり、実現してくださいました。あなたの憐れみに感謝します。

f:id:holala:20220125210429j:plain

紅葉しても散りません 散歩道