クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

イエスの恵み(12)悲しみの中にも恵みが

 これを恵みと言っていいのかどうか、分かりませんが、恵みという側面もあるので書いてみたいと思います。神学校を卒業して三重県の鳥羽教会に赴任した年のことです。夏に両親が遊びに来てくれました。私には小さな子どもが二人いて、孫に会うのは両親にとって大きな楽しみだったと思います。また私たちがどんな環境で生活しているのかも見たかったと思います。

 母は妻に「明夫は私の言うことは聞かないから、あなたから牧師をやめるように言ってくれない」と帰り際に言ったそうで、そのことを私は妻から聞きました。牧師館は狭く、母の目にはみじめな生活と映ったかもしれません。サラリーマンをしていた方が経済的にも豊かな生活ができるのにと母は思っていたようです。たしかに収入は半減しました。今の私は母の気持ちがよく分かります。子を思う親の気持ちがよく分かります。でもその時の私は使命に生きることを何よりも優先していました。

 そして2ヶ月ほど過ぎた10月のある土曜日の夜、私は翌日の説教の準備をしていましたが、妹のご主人から電話があり、母が急死したとの連絡が入りました。胸の高まりを抑えることができないまま、説教の準備をしました。母は60歳。まだ若いです。孫の成長を見たかっただろうと思います。その意味では無念の死かもしれません。いや、無念の死だったに違いありません。何と言っても早すぎる死です。

 いつ頃からそう思ったのかは覚えていませんが、私は、母は身をもって私に親しい人を亡くす遺族の悲しみを教えてくれたのではないかと受けとめました。牧師になったばかりの私に母は教えてくれた。そう考えて親とはありがたいものだと思いました。イエス様も自分の命を犠牲にされて私たちを救ってくださったわけですが、母も私に身をもって教えてくれたと受けとめ、感謝しました。もちろん母にはそんな思いはなかったと思いますが。親の死は悲しいですが、そこに恵みを私は見ました。

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母と長女。この長女は今、三人の子の親。