自分が死の床にある時、思いめぐらしたい聖書箇所が色々あります。その一つはマタイ福音書25章31節以下です。
マタイ 25:31~33
「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。
この時、すでに死んでいる人は復活することになります。私は目覚めるのです。自分がどのような姿に目覚めるのか、楽しみです。
そして再臨された主の前に集められます。無数の人が集まっているので主の近くに行けるとは限りません。遠くから主を見ることになるかもしれません。でも不思議と主を仰ぐことができます。
そして気づいてみると集められた人は右と左に分けられています。そして主の声が響いてきます。
マタイ 25:34
さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。
主の声を聞いて私は「聖書に書かれていることは真理だった。信仰に生きてよかった」と感謝し、喜びます。そこから先のことは想像できません。このようなことを心に思い描きながら最後の時を過ごしたいと思っています。もし信仰を持っていなかったなら、どんな気持ちで死の床で過ごすのかと考えるとぞっとします。
輝く日を仰ぐとき(讃美歌2編161番)
まもなく 主イエスはきたり
われらを 迎えたまわん
いかなる よろこびの日ぞ
いかなる さかえの日ぞ