クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

人生航路の第三段階(3)終末を信じる理由

 私が終末を信じる根拠の一つは最後の審判です。 主イエスの語った教えがあります。マタイ25章。

マタイ 25:31~
 人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。

 人は救いあるいは滅びに入るべく分けられると教えられます。このような教えを無視することはできません。

ローマ 1:18
不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、神は天から怒りを現されます。

 神は人間の不信心と不義に対して天から怒りを現されるとあります。これは人が生きているときに神の怒りを受けることを必ずしても意味していません。終わりの日に罪に対する神の怒りがくだると教えているように思います。

 あるいはこのような言葉があります。

コリント二 5:10
なぜなら、わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立ち、善であれ悪であれ、めいめい体を住みかとしていたときに行ったことに応じて、報いを受けねばならないからです。

 現代人からすれば最後の審判なんで絵空事に思えるかもしれません。でも私は、このような聖書の言葉を前にするとき、これらを無視する気持ちにはなれません。

 「心を高く上げよう」という讃美歌があります。讃美歌第二篇の1番、讃美歌21の18番です。その歌詞にこうあります。

終わりの日が来たなら
さばきの座を見あげて
わが力の限りに
心を高く上げよう

 さばきの座を見あげて心を高く上げよう、誇らしげに。イエス・キリストを信じ、義とされたことを感謝し、神の救いを誇るのです。信じてよかった!死んだ後にこんな場面があるなんて、楽しみです。(続く)

生協朱雀の近くの公園