現代人からすれば、終末の到来、最後の審判などは、信じがたいことです。信じがたいからといって、それが偽りということにはなりません。自分が信じられることが真実であり、信じられないことは真実ではないとは言えません。だから賢明な人は、終末があると考えて生きることを選びます。
それでも終末の到来について信じる根拠を見出したいというのが人間の心情です。私自身が信じる根拠として考えていることを紹介します。
第一の根拠は、人が死を恐れることです。ヘブライ人への手紙に「死の恐怖の奴隷」という言葉が出てきます。
ヘブル 2:14~15
ところで、子らは血と肉を備えているので、イエスもまた同様に、これらのものを備えられました。それは、死をつかさどる者、つまり悪魔を御自分の死によって滅ぼし、死の恐怖のために一生涯、奴隷の状態にあった者たちを解放なさるためでした。
人はなぜ、死の恐怖を感じるのでしょうか。死の恐怖は、神に見捨てられる恐怖を指し示しているのではないかと考えます。さらに言えば最後の審判において、神に見捨てられる恐怖を指し示していると考えます。人は無意識のうちに最後の審判を予測し、死の恐怖を感じるのだと私は考えています。
終末を信じる第二の根拠はキリストの復活です。多くの宗教は来世を説き、死を越える希望を信じる者に与えます。私はその希望の根拠はどこにあるのかと考えます。人は死んだら天国に行くと考えている日本人は少なくないようですが、何を根拠にそう考えるのかと思います。私は信じるなら、確かな根拠がほしいと考えます。
キリストが死者の中から復活したという出来事は、死を越える希望を伝えています。キリストを信じる者も復活すると聖書は教えているからです。いつ復活するのでしょうか。それはイエス・キリストが再臨する終末の時です。
コリント一 15:20、23~24
しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。ただ、一人一人にそれぞれ順序があります。最初にキリスト、次いで、キリストが来られるときに、キリストに属している人たち、次いで、世の終わりが来ます。
自分が復活する希望、それは終末を信じることにつながります。(続く)