クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

今際の際にある兄弟のための祈り

 今朝はマルコ福音書4章1~9節を読みました。イエス様が種まきのたとえを語られた箇所です。たとえの最後は

「聞く耳のある者は聞きなさい」

との言葉で終わっています。人は自分の関心事なら耳を傾けますが、関心外のことなら耳を閉ざします。これは当たり前のことです。聞きたくもないことを聞かされるのはしんどいです。

 今日は、この箇所を思いめぐらしながら、自分は耳を閉ざしていることがないかと自分を顧みました。一つ思い浮かびました。それは日曜日の礼拝の中で教会員の安否に関する報告がありました。一人の高齢の教会員が命の終わりを迎えつつあるとの報告と祈ってくださいとの勧めがなされました。

 私はそれなら「魂の平安を祈り、平安のうちに召されるように祈ればいいな」と思い、そのように祈りました。でもそれは耳を閉ざしているのではないか、と思わされました。もっとふさわしい祈りを考えてもよいのではないか、と思いました。もし自分が今際(いまわ)の際(きわ)にいるとき、どんな執り成しをしてもらえればうれしいかと思いました。魂の平安、それは祈ってもらいたい。でもそれですべてなのか。僕はキリスト者だ。そこで思いました。魂の平安はどこから来るのかと言えば、自分はこれから神さまのもとへ行くという希望、喜びがあるから平安になれるのだと。そこで次のような祈りをしました。

 天の父なる神さま、今、高齢の兄弟が終末期を迎えつつあります。意識もあると聞いています。長く信仰生活を続けてきた兄弟です。まもなく神さまのもとに迎えられます。顔と顔を合わせてあなたとお会いし、またイエス様にもお会いします。「あなたはよくやった」と神さまのしもべとして一生懸命生きたことが認められます。このような喜びが待っています。兄弟の心にこの喜びを満たしてくださるようお祈りします。

 

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サクラタデ 散歩道

桜の花ではありません。イヌタデ、赤まんまの仲間の蓼(たで)です。小さい花です。でも清楚できれい。