出エジプト記32章1~4節
モーセが山からなかなか下りて来ないのを見て、民がアロンのもとに集まって来て、「さあ、我々に先立って進む神々を造ってください。エジプトの国から我々を導き上った人、あのモーセがどうなってしまったのか分からないからです」と言うと、アロンは彼らに言った。「あなたたちの妻、息子、娘らが着けている金の耳輪をはずし、わたしのところに持って来なさい」。民は全員、着けていた金の耳輪をはずし、アロンのところに持って来た。彼はそれを受け取ると、のみで型を作り、若い雄牛の鋳像を造った。すると彼らは、「イスラエルよ、これこそあなたをエジプトの国から導き上ったあなたの神々だ」と言った。(出エジプト記32章1~4節)
神さまは、モーセを通してイスラエルの民に十戒を与えました。十戒の中に、この戒めがあります。
あなたはいかなる像も造ってはならない。
そしてこの「像」を神と崇め、礼拝を献げることを禁じられました。神さまは偶像を造ることを禁じ、偶像を礼拝することを禁じました。
イスラエルの民は、不安の気持ちから金で雄牛の像を造りました。目に見えるものにすがりたかったのです。彼らは神さまの戒めを破り、罪を犯しました。神さまは、十戒をお与えになったとき、なぜそれを守るべきなのか、理由は語りませんでした。神の戒めを与えられたとき、なぜそれを守るのか、人は考えなければいけないのだと思います。
偶像が木にすぎないことも知らずに担ぎ/救う力のない神に祈る者。(イザヤ45:20)。
それに助けを求めて叫んでも答えず/悩みから救ってはくれない。(イザヤ46:7)。
偶像は何の役にも立ちません。
問い なぜ像を造ってはいけないのですか。
答え 聖書が伝える神は、生きて働かれる神、人間との交わりを求める神だからです。心を持つ神、人格をもつ神だからです。偶像を造ることは、神さまが心を持ち、人間とかかわりをもつ神であることを否定することになるからです。
偶像は今も「あなたを幸せにしますよ。わたしは力がありますよ」と私たちに魅力的な姿を示します。木や石などでつくったものではない偶像、偶像らしからぬ偶像があります。富、名誉、権力、美、欲、色々な偶像が私たちを囲んでいます。
罪とは、神の戒めに背くことです。像を造ることは、神が人格をもつ神であることを否定する罪を犯しています。神を否定する罪を犯しています。