神さまはモーセに次のように言われました。
「この民は、いつまでわたしを侮るのか。彼らの間で行ったすべてのしるしを無視し、いつまでわたしを信じないのか」(民数記14章11節)。
エジプトにおいて奴隷であった民は、その苦しみの中から神に助けを求めて叫び続けました。神さまはモーセを指導者に選び、エジプト王と交渉させました。神さまは大いなる業を次々に行い、イスラエルの民をエジプトから解放し、彼らを約束の地、自由に生きることのできる土地へ導かれます(出エジプト記)。
そしてついに約束の土地を目にしました。モーセは偵察隊を送り、これから入ろうとしている土地を調べさせました。そしてそこが肥沃な土地で住むのにすばらしい土地であるとの報告を得ました。しかしそこには強そうな人々が住んでいるとの報告もありました。(民数記13章)。
イスラエルの民の多くは恐れにとらわれ、前進することを拒みました。しかしヨシュアは、神が共におられるから前進しようと民に訴えます。恐れにとらわれた民はヨシュアを殺そうとし、またエジプトに帰ろうとさえ言うのでした。(民数記14章)。
その時の神さまの言葉が上に引用した言葉です。エジプトにおいて、約束の地に至るまでの荒野の旅において、困難が起きるつど神さまは、奇跡を行いイスラエルの民を救ってきたのでした。奇跡、それはイスラエルを救う神が共におられることの「しるし」でした。イスラエルの民は、多くの「しるし」を見たのです。しかし民は前進することを拒みました。そして神の怒りを買ったのです。そのため、不信仰に陥った世代が皆死ぬまでイスラエルの民は約束の地に入ることができませんでした。40年後、不信仰の世代の子たちが約束の地に入りました。
罪とは、神を侮ることです。神さまは困難が起きるつど民を助けました。しかし民は心の中で「なるほどこれまでは助けてもらえた。でも今度も助けてもらえるという保証はどこにあるのだ」と考えて、神に頼る行動をしませんでした。信頼できる神を信頼しない、それは神を侮る行為でした。
罪とは、神を侮ること、神に信頼を寄せないこと。それは神を信じないこと、不信仰です。