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隠退牧師 holala によるブログ

実はイスラエルも(10)まとめ

 旧約聖書には、「神の民」というアイデンティティーに生きるように召されたイスラエル民族と神との関わりが書かれています。旧約聖書から教えられることを以下の五つにまとめました。それはクリスチャンのアイデンティティーに生きようとする私たちにも役立つことと信じます。

1.神はご自身を救いの神として現される神

 イスラエルの民はエジプトにおいて奴隷で苦しい生活をしていました。その苦しみからの救いを求めて神に祈りました。神はモーセを指導者として選び、イスラエルを救う神としてご自身を現しました。エジプトからイスラエルの民を脱出させるだけでなく、自由に生きることができる土地しかも肥沃な土地で実り豊かな土地へ導くと約束されました。

 イスラエルの民はエジプトを脱出し、神が与えると約束された土地を目指して旅をしました。その旅では、時に困難が生じました。困難の時、それは神が救いを与える時でした。神がイスラエルの民を救う神であることを現す時でした。イスラエルの民は困難を通して助けてくれる神を体験し、ますます神に信頼し、この神をまことに神と崇めて生きていくようになることを神は願いました。

2.神はイスラエルの民を愛し、交わりを求める神

 エジプトを脱出したイスラエルの民はシナイ山の麓で神と契約を結びました。神はイスラエルの民に、「わたしはあなたたちの神になる」と約束しました。すでに神はイスラエルの民をエジプトから救出し、ご自身をイスラエルの民を救う神として現され、これからもイスラエルを救う神であり続けることを約束しました。

 神はイスラエルの民に十戒という戒めを与えました。神の戒めに従って生きることは、愛と平和と喜びに生きる秘訣です。イスラエルの民は神の戒めを守ると約束し、神の民として生きていくことを神に約束しました。神の民、それはイスラエルの民のアイデンティティーでした。

 世の中には色々な民族がいます。イスラエルはその中の一つの民族であるだけでなく、神との関わりに生きる民、神の民でした。そこに彼らの特徴、アイデンティティーがありました。イスラエル民族とは何か、神の民として生きる民です。

 聖書の神は、イスラエルの民との交わりを求める神でした。神はイスラエルの民を愛し、彼らを助ける神として自分を現しました。そしてイスラエルの民が幸いな歩みができるように戒めを与えられました。神はイスラエルの民が神に信頼し、神に寄り頼み、祈り、神の戒めを守ることを期待しました。つまりイスラエルの民が神を愛することを期待しました。神とイスラエルの関係、それは互いに愛し合う関係でした。

3.偶像礼拝をするイスラエルの民

 エジプトを脱出し約束の地を目指した民は、困難が起きるとモーセに不平を言い、神に文句を言いました。なぜ困難に遭わせるのか、と。そしてこんなことならエジプトにいた時の方がよかったとさえ語るのです。エジプトから解放させてくれたことはよかったけど、約束の地を目指す旅の中で困難に遭うなんて思っても見なかった、と不平を言うのです。つまりイスラエルの民は「自分の思い通りに生きる」ことだけを求めていたのです。

 イスラエルの民は、さまざまな困難を体験し、神の救いを体験したのに、約束の地を目の前にしても、なおイスラエルの民は不平を言い続けたのでした。

 約束の地に入っても、「自分の思い通りに生きる」ことを求める歩みをしました。約束の地に入ったイスラエルの民は、周辺の民族にならい、偶像礼拝をしました。つまり神の像を造り、その神にいけにえを献げ、その前に手を合わせて祈り、幸いを祈るのです。丁重に神にいけにえをささげ、神に自分の願いをかなえてもらうことを願います。豊かな実りを願うのです。イスラエルの民は彼らをエジプトから救い出した神以外のものを神としました。彼らにとって神とは、自分の願いさえ聞いてくれればいいのです。そのためにいけにえをささげ、恭しく宗教儀式さえ執り行うのです。イスラエルの民は十戒に背いたのです。

  • 第一の戒め:わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。
  • 第二の戒め:あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない

4.罪とは何か

 イスラエルの民を見ていて教えられることは、罪は不道徳なこと、悪しきことをすることではありません。聖書が教える罪とは、偶像礼拝をすることと教えられます。神以外のものを神とすること、神の像を造り礼拝をすることです。それは言い換えるとイスラエルの民をエジプトから救いだした神との交わりに生きようとしないことです。神の民というアイデンティティーに生きようとしないことです。神を愛さないことです。神を神としないことです。罪は神に対する罪です。そして神をないがしろにするところから、様々な問題ある悪しき行動が生まれてきます。

 神は聖なる神として罪を憎まれます。そして罪に対して怒る神であり、罪を裁く神です。それはイスラエルの民があくまでも神に立ち帰ることを願うからです。

5.忍耐し待ち続ける神

 イスラエルの民は偶像礼拝を繰り返します。それが目に余るようになると神は彼らを懲らしめます。イスラエルの民が悔い改めると神は彼らを赦し、イスラエルを救う神としてのご自身を現されます。王国時代、神を敬わない王が続き、偶像礼拝がはびこり、また社会において正義が行われなくなると神は預言者を送り、イスラエルの王、民に悔い改めを促します。神に立ち帰るように訴えます。神はイスラエルの民が悔い改めるのを忍耐をもって待つ神であり、契約を結んだイスラエルの民を見限り、見捨てることはなさいませんでした。神は契約に忠実であり続ける真実な方です。

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