クリスマス燭火礼拝説教
聖書 ヨハネ1:1〜5
説教 言葉に命が
→言葉というのは不思議なものだと思います。
- 人類がここまで人口が増え、地上で繁栄しているのは、言葉があったからではないでしょうか。
- 言葉で話すから、互いに気持ちや考えを伝え合い、理解し合うことができます。
- 文章を書けば多くの人に読んでもらえます。
- 科学者が論文を書けば、その内容は多くの学者に共有され、それを参考にして研究を更に発展させることができます。
- 作家が小説を書けば、それは時代を超えて、多くの人に感動を与えることができます。
- もし言葉がなければ、気持ちを通わせることができず、情報を受け継ぐこともできません。
- もし言葉がなければ、人間は、他の動物と同じように本能に従って生きるだけかも知れません。
- 人間が言葉を使える、不思議なことではないでしょうか。
→人の語る言葉は、「人を生かし、人をまた殺す」と言われます。
- 独裁者が「あいつは殺せ」と命じれば、文字通り人の命が失われます。
- 心ない一言の言葉が、他の人の心を傷つけます。
- 一言の言葉によって、励ましを受けたり、力を与えられたりします。
- 言葉にどうしてそんな力があるのでしょうか。
- これもまた不思議です。
- それは、言葉がそれを語る人と結びついているからではないでしょうか。
- 言葉はそれを語る人の人格と結びついているのです。
→今日はクリスマスを祝う礼拝を献げています。
- 救い主イエス・キリストの誕生を祝います。
- ヨハネ福音書の1章の14節には不思議な言葉が書かれています。
- 「言葉は肉となって、わたしたちの間に宿られた」。
- 言葉が人となったというのです。
- クリスマスの出来事、それは言葉が人となる出来事だというのです。
- クリスマスに秘められた喜ばしい知らせを共に聖書から聞きましょう。
→「初めに言があった」と1節にあります。
- これも不思議な言葉ですね。
- 「初め」とはそもそもの初め、つまりこの世界が誕生する時のことです。
- その時に、言があったというのです。
- そしてその「言は神と共にあった」とあります。
- 世界が存在する初めの時、言が神と共にあったというのです。
- これは言い換えると、聖書が告げる神は言葉を語る存在だということではないでしょうか。
- 神は言葉を発し、語りかける神だというのです。
- 人は神について自分なりのイメージを抱くものです。
- あなたはどんなイメージを持っておられるでしょうか。
- 聖書は、神は語る神、語りかける神だと教えています。
→「万物は言によって成った」とあります。
- この世界は、言によってできたというのです。
- 聖書の最初を見ると、「光あれ」と神が言います。
- 「こうして光があった」と書かれています。
- 更に神は言います。「水の中に大空あれ、水と水を分けよ」
- さらに「天の下の水は一つところに集まれ。乾いたところが現れよ」。
- こうして海と陸ができました。
- 神は言葉を発し、世界を造ったと聖書は語ります。
- こういう聖書の言葉を読むと聖書は非科学的だという人がいます。
- 聖書が伝えたいことは、この世界が神のご意志によってできたということです。
→また神は、次のように言います。
- 「我々にかたどり、我々に似せて人を造ろう」。
- 「造ろう」と語った神は、自分の語ったことを実行し、
- 人間を造ります。
- 人間は、神が語りかける相手として造られたのです。
- 神に似せて造られた人間は、神に似て、言葉を語ります。
- 言葉を語るものとして人間は神に造られました。
- 語りかける他の人の言葉を聞く者として人はつくられました。
- 何よりも、神の言葉を聞く者として、人は神に造られたのです。
→「言は神であった」。
- 言が神?
- 変な言葉に思えます。
- でも、言葉というのはそれを語る人と結びついているのです。
- 私たちは自分に向けられた言葉を誰が語ったかによって、受けとめ方が違ってくることがあります。
- 言葉というのは、語る人と密接に結びついているのです。
- 「言は神であった」。
- 神の語る言葉は、「神の言葉」として受けとめるべきものとの意味と考えます。
- 人間が聞くことのできる神の言葉というものがあるのです。
→言の内に命があった。
- この「言の内に命があった」という言葉は、
- 神の語る言葉が人を生かす、という意味です。
- 神の語る言葉を聞いて生きる、それが信仰者です。
- 私どもは、毎日の生活の中で、様々な人間の言葉を聞いて生きています。
- ある時は、聞いた言葉を受けとめ、ある時は反発し、別の時は聞き流し、
- そのように言葉を聞きながら生きています。
- 心地よい言葉があれば、不愉快な言葉もあります。
- 励まされる言葉があれば、心がくじけるような言葉もあります。
→聖書は、私どもに語りかけ、私どもを生かす神がおられると告げるのです。
- 神は、人間を生かすべく、人間に語りかけるのです。
- 神の言葉には命があり、人間を生かすのです。
→「命は人間を照らす光であった」。
- 言い換えると
- 人間は、光で照らされる必要のある存在だということです。
- 人間は、暗闇の中にいるから、光に照らされる必要があるというのです。
- どう思いますか。
- 暗闇の中にいると、どちらに進んだらいいか分かりません。
- 光に照らされないと、暗闇の迷いの中から抜け出せないのです。
- 暗闇ということで、私は、日本の政治を思います。
- 政治家は、日本という国の行く手を担う人たちです。
- そのリーダと言うべき、首相が次から次へと交代しています。
- 自分なりの信念は持っているのかも知れませんが、
- 良い結果を生み出せず、批判を受けて、やがて辞任に追い込まれています。
- 何を第一とすべきか、何をすることが必要なのか、
- わかっているようで分かっていないように思えます。
- 現実がこうだから、ああだからと、現実に左右されているように思えます。
- 日本の政治は暗闇の中にあると思います。
- 光に照らされないと、どう進むべきか分からないのです。
- 政治家だけではありません。
- 一人一人の国民も、不安に囲まれています。
- 暗闇の中に住んでいる不安から逃れられないでいるのではないでしょうか。
→でも人は、自分が暗闇の中にいることはなかなか分からないものです。
- 周囲の人が暗闇の中に生きていれば、自分も暗闇の中にいることは気づきません。
- もしそこに、光の中に生きている人がいると、自分とは違う、それが分かります。
- 今や、暗闇の中に光が射し込んだのです。
- 人間を照らす光、神の語りかける言葉です。
→救い主イエス・キリストは、活動を始められた時、このように語られました。
- 「暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ」。
- 「悔い改めよ」。
- 暗闇から出て、光のもとに来なさい、そう語られたのです。
- クリスマスの出来事、それは、人間を照らす光が射し込んだということです。
→「光は暗闇の中で輝いている」。
- イエス・キリストがこの世においでになって以来、今日に至るまで、
- 光として暗闇の中に輝き、闇を照らしているのです。
- 私どもを照らしているのです。
- 「言は肉となってわたしたちの間に宿られた」とあります。
- 神の言葉が人間となられた、それがイエス・キリストです。
- 神は語られるだけではなく、人となられたのです。
- イエスという方は神であり、その語る言葉は神の言葉であり、
- その行動はまさに神の行動に他ならない、
- 神の言が人となり、目に見えるようになったのです。
- 神は、イエス・キリストを通して、私どもに語りかけておられるのです。
- そして私どもを照らしてくださっているのです。
→それならば、人は皆、この光のもとに来て、光に照らされて歩めばいいではないかと誰でも思うでしょう。
- ところがそうはいかないのです。
- 人は、光のもとに来ようとしないのです。
- 「光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇を好んだ」と3:19に書かれています。
- 「悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ない」というのです。
- 悪を行うとは、犯罪を犯すことではありません。
- イエス様は言われました。
- 「私は世の光である。わたしに従う者は、暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」。
- イエス様に従う生き方をするものが光に照らされて歩むというのです。
- イエス様に逆らう生き方は、暗闇の中を歩くことだというのです。
- 人は自分は、それなりに人に対して恥ずかしくない歩みをしている、善人として歩んでいる、そう考えるものです。
- 「暗闇は光を理解しなかった」とあります。
- 人は自分の歩みが暗闇の中を歩いているということがわからないのです。
- その結果、人々がイエスのもとに来ない、光のもとに来ないという現実があることも聖書は書いています。
→私どもは、光のもとに来るように招かれています。
- 「実を結ばない暗闇の業に加わらないで、むしろそれを明るみに出しなさい。すべての者は光にさらされて明らかになります。明らかにされるものは皆、光となるのです」。
- あなたは、光の中を歩んでおられるのでしょうか。
- 私どもは暗闇の中にいる必要はありません。
- あなたの歩みの中に暗闇の部分があったとしても、光の中に行けばよいのです。
- 私どもの行為が明るみに出され、それが暗闇のものであることが明らかにされた時、
- 私どもの歩みが光のもとにある歩みへと変えられていくからです。
→クリスマスの喜び、それは光に照らされる喜びです。
- 神の言葉を聞いて生きることを知る喜びです。
- イエス・キリストはあなたの歩みを照らしてくださるお方となってくださったのです。
- クリスマス、それは光に照らされて生きることへの招きです。
祈り 暗闇の中で戸惑いの中に生きている私どもを照らし、光の中を歩むように招いてくださる神様
あなたの招きを感謝します。光なる主イエスのもとに行き、光の内を歩ませてください。
私たちを暗闇が覆うとしても、私どもの周りには、あなたが私どもを照らし、
私どもの歩みを守ってくださることを信じます。
私どもの世界は、暗闇が覆っています。
飢えや貧困、戦争、抑圧があちらこちらにあって苦しんでいる人が多いです。
愛と平和の中で、安心して生きていける状態からほど遠い世界です。
天の父なる神さま、
この世の光であるイエス様を受け入れ、光に照らされて歩む世界をつくることができるように助け、導いてください。
ここに集う人たち、イエス・キリストを信じる者たちが、光の子として歩み、
光の中を歩む幸いが多くの人の知るところとなるように導いてください。
救い主を送ってくださったあなたに感謝し、イエス・キリストの御名により祈ります。