日曜はブログを休みにしているのですが、忘れないうちに書いておこうと思いました。礼拝では新型コロナウィルス対策の配慮がなされていました。家を出るとき用意しておいたマスクをうっかり忘れてしまいましたが、礼拝堂の入り口にマスクが提供されていました。
今日は第一日曜日なので聖餐式が予定されていましたが、口に入れるものを配るということで、聖餐式は中止でした。讃美歌も一曲割愛でした。礼拝堂は上の方にある窓が開けられており、礼拝堂入り口のドアも開けられていて、換気にも注意が払われていました。
礼拝後はクワイヤーの練習があるのですが、これは濃厚接触になるので、どうなるかなと思っていましたが、中止でした。ほっとしました。会堂の清掃も中止。礼拝を献げることに集中し、礼拝が終わったら、皆帰宅です。ただ長老会は開催されたようですが、時間は短くするとのことでした。
説教もいつもより時間を短くするとのことでした。今週と来週の祈祷会は中止。韓国では、キリスト教系新興宗教の教会の礼拝に出席していた人から感染が広まったとのことですので、集会をどうするか、気を遣います。もし自分が現役の牧師であったらどうしただろうかなどと想像もしました。
説教を聴きながら、私は東日本大震災のことを思い出していました。金曜日午後地震が起きました。津波の様子を見ていて心底驚きました。そして予定された聖書箇所からの説教をするわけにはいかない、この地震を受けての説教をしなければ、と考え、心が高ぶる中で説教の準備をし、説教をしたことを思い出しました。この時に感じた緊張感と似たものを今日感じました。