クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

あなたがたは世の光である(2)

 私たちが生きている世界は闇で、私たちは闇の中に生きていると言ったら、多くの人から笑われると思います。クリスチャンからも笑われるかもしれません。

 もし現代の人たちが闇の中に生きていないとしたら、救い主イエス・キリストは必要がないことになります。私たちが闇の中に生きているからこそ、今も変わることなく、イエス・キリストが救い主としておられると私は考えます。個人的なことを言えば、私は若い頃、死の恐怖と生きることの空しさの中にありました。表面的には元気にサラリーマンをして生きることを楽しんでいました。その楽しさが空しいことは言うまでもありません。暗闇といっても、文字通りの暗闇ではなく、希望のない闇と言ったらよいと思います。でも絶望はしていません。何とか生きていけるとのささやかな希望を持っているからです。

 なぜこの世は闇なのでしょうか。世というのはそこに生きている人たちから成り立っています。沢山の人たちがいます。そこには一種の雰囲気みたいなものが生まれます。現代では、神を信じるのは愚かなことと考える雰囲気、風潮が満ちていると思います。

コリント 1:20~21
知恵のある人はどこにいる。学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる。神は世の知恵を愚かなものにされたではないか。世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。

 世の人々は神を知ることができません。それでもなお自分は賢いと考えていると聖書は語ります。

 神を知らないで生きるとは、自分の思い、自分の考え、自分の欲をもとに生きることを意味します。そして自分は正しいとの立場に立ち、他者と関わっていきます。この自己中心、これが闇です。自己中心は個人のレベルから国家間のレベルまで世界を支配しています。そして争い、対立を生み出します。個人レベルでは、夫婦喧嘩、親子喧嘩、国家レベルでは戦争が行われます。「殺してはならない、姦淫してはならない、盗んではならない、隣人に関して偽証してはならない、隣人の家を欲してはならない」との十戒が平気で至るところで破られているのが、この世の現実です。

 闇の中にいる人は自分が闇の中にいると気づきません。他の人も自分と同じですから、自分はまともだと考えます。闇が光に照らされると、初めて闇の中にいることが分かります。闇が支配する世界に主イエスはおいでになりました。

ヨハネ 1:5
光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。

ヨハネ 3:19
光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。

霧ヶ峰 2013.8