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隠退牧師 holala によるブログ

実はイスラエルも(6)顧みる神

 イスラエルの民は、神が与えられた地に住みました。そこでイスラエルの民は「世界」と出会います。つまり自分たちの周辺に住んでいる人たちを意識します。彼らは必ずしも友好的とは限らないのです。預言者サムエルの時代、ペリシテ人がイスラエルを攻めるようになります。そこで民はサムエルに願います。

サムエル記上7:8
イスラエルの人々はそのことを聞き、ペリシテ軍を恐れて、サムエルに乞うた。「どうか黙っていないでください。主が我々をペリシテ人の手から救ってくださるように、我々の神、主に助けを求めて叫んでください」。

 主に助けを求めるのは、神の民としてふさわしいことです。サムエルは主に助けを求めます。

サムエル記上7:9~13
サムエルはまだ乳離れしない小羊一匹を取り、焼き尽くす献げ物として主にささげ、イスラエルのため主に助けを求めて叫んだ。主は彼に答えられた。サムエルが焼き尽くす献げ物をささげている間に、ペリシテ軍はイスラエルに戦いを挑んで来たが、主がこの日、ペリシテ軍の上に激しい雷鳴をとどろかせ、彼らを混乱に陥れられたので、彼らはイスラエルに打ち負かされた。イスラエルの兵はミツパを出てペリシテ人を追い、彼らを討ってベト・カルの下まで行った。サムエルは石を一つ取ってミツパとシェンの間に置き、「今まで、主は我々を助けてくださった」と言って、それをエベン・エゼル(助けの石)と名付けた。ペリシテ人は鎮められ、二度とイスラエルの国境を侵すことはなかった。サムエルの時代を通して、主の手はペリシテ人を抑えていた。

 やがてサムエルは年をとります。イスラエルの民はサムエルに代わる王を求めます。

サムエル記上8:5
「あなたは既に年を取られ、息子たちはあなたの道を歩んでいません。今こそ、ほかのすべての国々のように、我々のために裁きを行う王を立ててください」。

 イスラエルの民は神の民であることをやめ、周辺の国々と同じになろうとします。「神の民」というアイデンティティーを捨てようとします。王を求める民の願いは、サムエルの目に悪に思えました。サムエルは主に祈ります。

サムエル記上8:6~9
そこでサムエルは主に祈った。主はサムエルに言われた。「民があなたに言うままに、彼らの声に従うがよい。彼らが退けたのはあなたではない。彼らの上にわたしが王として君臨することを退けているのだ。彼らをエジプトから導き上った日から今日に至るまで、彼らのすることといえば、わたしを捨てて他の神々に仕えることだった。あなたに対しても同じことをしているのだ。今は彼らの声に従いなさい。

 神は王を立てることを許します。しかし王を立てることを願うイスラエルの民は、神が王として彼らに君臨することを拒んでいる、と神は見ています。イスラエルの民は「世界」を認識し、世界の中の自分を意識し、自分の弱さ(軍事的弱さ)を認識します。そこで王を立て、軍事力を持ち、軍事力に頼ろうとしたのです。神に頼るのではなく、人間の力に頼ろうとしたのです。神の民失格です。

 しかし神はそんなイスラエルの民を見捨てることなく、王を立てることを許します。許すどころか、神ご自身が王を選びます。私はここに神の憐れみを見ます。神は御自分を拒むようなイスラエルの民、神が神の民として選ばれた民を見捨てることはしません。「私はあなたがたの神となる」という契約に神は忠実です。「イスラエルの神」というアイデンティティーに神は生き続けます。

 

 

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