クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

見られる花、見つける花

 NHKで「百名山スペシャル~夏きらめく花の旅」という番組を見ました。百名山と呼ばれる山に行き、そこに咲く有名な花を見に行くという番組です。ゲストの人がガイドに案内されつつ山に登り花を見るという番組です。

 最初の目的地は尾瀬ヶ原でニッコウキスゲを見ることを目的としています。山を登り終わると台地に着きます。草原や森を過ぎていくと湿原に着き視界が開けます。すると目の前にニッコウキスゲが一面に咲いています。これを見れば感動します。映像を見るだけでも素晴らしい光景です。実際に目の前に見たら、来てよかったと心がときめく感動があると思います。

 尾瀬ヶ原には他にも色々な花が沢山咲いています。それらは高山植物と呼ばれます。尾瀬ヶ原にはオオバタチツボスミレというスミレも咲いていると聞いたことがあります。このスミレの名を知る人はほとんどいませんから、このスミレの咲いている姿はこの番組では期待できないと思いました。その時ふと思ったのです。花には二種類ある。見られる花と見つける花。

 見られる花、それは見つける努力をしなくても見ることができる花です。誰もが見ることができる花です。尾瀬ならニッコウキスゲです。咲いている季節に行けば、誰もが間違いなく見ることができます。

 もう一つの花は見つける花。見つける努力をしないと見ることができない花です。見過ごしてしまう可能性がある花です。この場合は、この花を見たいとの目的意識が必要です。見るために情報を得ておく必要があります。いつ頃咲くのか、尾瀬のどの辺で咲いているのかをあらかじめ調べておいて尾瀬に行き、目を凝らして探しながら歩いて見つけます。

 花には二種類ある、そこから思いました。福音にも二種類あると。福音はキリストの福音しかありませんが、でも二種類ある、そう思いました。見られる福音と見つける福音です。

 見られる花は、そこに行きさえすれば見ることができる花でした。見られる福音とは、礼拝に行けば説教を通していつでも聞くことができる福音です。具体的に言えば、罪の赦しの福音です。どの教会に行っても、罪の赦しの福音は聞くことができると思います。それゆえ、多くの信仰者が罪の赦しは福音であると知っています。

 見つけて見る花は、目を凝らして探すときに見ることができる花です。探そうとしなければ見ることはできません。見つける福音は、探し求める人によって見いだされる福音です。どこを探すかというと聖書です。イエス・キリストによる救いは、私たちを罪の支配から解放する救いを含んでいます。罪に対する勝利の福音です。イエス・キリストを信じる人は、新しく生まれ神の子とされ、父なる神さまの御心に従って生きることができます。イエス・キリストを信じる人の心には聖霊が住んで下さり、御心に従って歩むよう助け導いてくれます。力を与えてくれます。これらの喜ばしい知らせは、すぐには信じることができないので、真剣に受けとめようとしないことが多いです。そうすると説教で語られても、受けとめることができず聞き逃してしまいます。

 見つける心がなければ、きれいなニッコウキスゲは見ることができても、他の高山植物を見過ごすことになります。見つける心がなければ、説教で罪に対する勝利・解放の福音を聞いても聞かないという結果になるのではないかと思います。見つける心がなければ、罪の赦し以外の福音を伝えることができなくなります。また聖書を読んでも見過ごしてしまいます。

 見つける福音。聖書が語る福音とは何か。初心に返って聖書を読みたいと思いました。

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